奈良の集落
榛原荷阪の林道と渓谷 梅雨の合間に天気予報を見て奈良県南部も京都方面も雨だったが、宇陀市周辺の降水確率が低かったので宇陀市に出かけました。
今井集落 奈良県で最も到達困難な野迫川村 前回は野迫川村の中津川に行きましたが、野迫川村の中心部も周って帰りました。
村は昭和44年に崩壊 奈良県五條市の旧大塔村から野瀬川村にかけては1000m以上の山が連なり、年間降雨量も多い。
貧しさから住民が集団離村 旧大塔村から天ノ川支流の川原樋川沿いに、奈良県道734号線を遡って中津川に向かっています。
大塔町飛養の傾斜集落 前回は旧大塔村の辻堂集落、現在の奈良県五條市大塔町辻堂でしたが、天ノ川を渡って反対側の集落に向かいます。
町村合併した旧大塔村の現在 奈良県の五條市は不思議な形をしていて、上部分と下部分の中間が細くなってえぐれている。
棚田農家はどうして棚田を耕すのか 関西でも梅雨が始まった6月中旬に、明日香村の風景を撮りに行きました。
中奥川の瀬戸地区 前回は奈良県川上村の吉野川支流、中奥川に沿って遡り、中奥地区まで来ました。
中奥川と井光川 吉野町から吉野川を遡ると川上村に入り、町と言うものはなくなりコンビニやスーパーは一軒もない。
ダムに消えた大滝集落 奈良県の吉野町を流れる吉野川上流に大滝ダムがあり、吉野川支流に多くの小集落が存在する。
神社の前は、山など場所そのものが信仰対象だった 日本最古の神社ができた経緯 十津川村の南東部、紀伊半島のもっとも山深いあたりに玉置山と玉置神社があります。
旧平谷小学校、十津川村だけで33の小学校が廃校になった 十津川村の今 十津川村は現在中心部の役場や道の駅がある辺りに機能を集中させようとしている。
十津川村南部の上流域へ進出 十津川村には何度か行きましたが、村役場や道の駅がある辺りまでが多かった。
文武天皇陵裏の農村 前回は明日香村キトラ古墳の裏側や高松塚古墳の裏側を回り、隣の文武天皇陵まで来ました。
一見住んでいそうだが実は無人 無人集落なのに手入れが行き届いていた 前回は天川村の塩野という高地集落まで行き、森の中の天満宮で休憩し、また走り出しました。
塩野天満宮、木のベンチは腐って自然に還る最中 天川村の天ノ川沿いから高地にに上がる 天川村は去年気に入って何度か行きましたが、山間地で冬は気温がマイナスなので行けませんでした。
これがひかり食堂 「ひかり食堂」を再訪 前回は大淀町の水分神社まで来た後、近くの大和上市駅まで行き、駅前の「ひかり食堂」でランチにしようと思いました。
田舎からさらに田舎の道へ 明日香村は飛鳥駅がある北西部が平野で東側と南部は山地になっています。
旧大塔村の坂本地区は五條市大塔町坂本になっていて、猿谷貯水池の周辺には数十戸の民家が残っている。
現在奈良県五條市大塔町になっている南部の山間地は2005年まで大塔村でした。
今回は奈良県五條市大塔町阪本の天誅組天辻本陣遺址に行ってきました。
県道235号線を舟ノ川沿いに東へ進むと篠原という集落に差し掛かります。
奈良県五條市から国道168号線を通って十津川方面に向かい、大塔温泉から県道235号線に曲がります。
林業壊滅で自然に還る大塔村 国道168号線沿いの旧大塔村は現在は奈良県五條市に合併されて、一部の地名にだけ大塔町が残されている。
窪垣内から東吉野村へ 奈良県の吉野川流域は下流の五條市は大きな市でその上流の大淀市もスーパーなどがあります。
喜佐谷集落 吉野町の吉野川展望デッキ近くから南に曲がり山を登ると桜木神社があり、さらに南下すると喜佐谷という集落があります。
洞川温泉方面にむかう 天川村の県道53号線沿いの旧西小学校に立ち寄った後、さらに東に進むと関西電力九尾ダムが見えてきます。
秋晴れの天ノ川 以前一度行った天川村の県道53号線を冬になる前にもう一度走ろうと思い立ちました。
鹿の道 鳳閣寺がある山を降りて別ルートから四寸岩山という山に上がる道を目指しました。
吉野川の南側ではこのくらいはまだ「都会」 奥吉野と口吉野 10月初めに吉野の山中のなるべく山の上にバイクで上ってみようと思い立ちました。