廃村中津川 行かない方がいい場所がある
貧しさから住民が集団離村
旧大塔村から天ノ川支流の川原樋川沿いに、奈良県道734号線を遡って中津川に向かっています。
中津川はたまたまネットで見かけた廃村で、廃墟マニアには知られた場所らしいです。
というより天ノ川沿いは168号線が走っていて、過疎とは言え賑やかだったが、川原樋川沿いは丸ごと廃墟な感じです。
廃墟化した家すら見かけず、川原樋川の反対側に渡る橋の多くは、老朽化か災害の為通行止めでした。
川の向こうにある立里という集落にも行きたかったのだが、数十年前に廃村になっていたようです。
県道734号から分岐して中津川に新しい道が伸びているが、計画では集落を貫通して大塔村までつながる筈だったようです。
集落の途中で工事が止まっているのは昭和44年に11戸53人いた村人が、突然ゼロになってしまったからです。
まとまった規模の集落が僅か数か月で消滅した理由は、災害とか何かがあったのでしょうか?
『奥 吉 野 山 地 の人 口激 減 集 落 (1960-1970)』というネット資料によると、昭和44年に村人全員が土地を捨てて移住しました。
理由は貧しさからで、当時の奥吉野山村の平均所得は奈良県平均の3分の1しかなかった。
この地域の賃金収入は林業労働だが、木材値下がりと年間就労日数の少なさ(冬季は作業できない)ため生活は困窮を極めた。
昭和44年のある日、11戸の中心となっていた家主が仕事を求めて一家全員を連れて山を降りた。
中津川の入り口ですが、廃村なので表示はないです
途中まで作りかけの道路が集落まで続いています
風格のある砂防ダム
最初の建物は斜面の神社跡
行き止まりにある建物が中津川小学校
これは運動場の手洗い場ですね
行き止まりではなく道は校舎奥に続いています
ドアが外れて内部は物が散乱しています
金田一シリーズの映画を思い出します
人間界ではない空間
周辺の数軒(全戸が親戚)も一緒に山を降り、数か月の間に全戸が山を降りて廃村になった。
11戸の半数以上の6戸は最も近い五條市に、2戸は大阪に、他の3戸は散り散りになった。
ひと夏で全戸が離村したことで、すべての家は同じような老朽化具合で残されている。
集落の一番手前に大きな神社があるがこれは廃神社のようで、隣に天照皇大神宮という小さな祠がある。
その次に現れるのが四角い木造建築物で、昭和44年休校(1969年休校、1997年廃校)なので全戸離村の直前まで生徒が居たようです。
學校を過ぎると左側に立派な石垣の大きな家があり、これが最初に移住した中心的な家かなと思います。
恐らく地域をまとめる庄屋や名主的な家で、住民サービスなども担っていたのではないでしょうか。
他の家はずっと小さな家が多く、もっとも小さい家は崖下の日当たりが悪い場所に在り、集落にも貧富の差があったようです。
集落の先で道が無くなったように見えるが、さらに先に進むと念仏寺という廃寺があります。
寺だった痕跡は建物以外には2組の地蔵だけで、昼間でも陽が当たらないほど樹々に囲まれています。
こうした廃村でも旧住民による自治体が存在しているようで、道は綺麗に掃除してあり、何かの祭礼を行ったような跡があります。
中津川を一言でいうと不気味であり、廃屋から存在しない筈の老婆が手を振ったりするのではないか、という妄想に襲われる。
行き止まりの廃寺はもう人間界のようではなく、霊界か神々の領域のような気配が漂っている。
まあクマが現れたりハチに追いかけられる危険は現実にある。
最初の民家です
片目の人が口をあけて笑っているようにも見える
中津川の廃墟は痛々しく悲壮感が漂っている
紫色の花が咲いていましたが、何かで見た霊界のようです
誰かがこっちを見ているような妄想にとらわれてきます
この家はかなり大きいので、集落の中心だったのでしょう
やばい気配が全開で漂っています
木の妖怪みたいな奴らが家を覆っています
つづく