大塔町飛養集落から中津川を目指す
大塔町飛養の傾斜集落
前回は旧大塔村の辻堂集落、現在の奈良県五條市大塔町辻堂でしたが、天ノ川を渡って反対側の集落に向かいます。
この天ノ川は上流が十津川になっていて、十津川村と奈良や大阪を結ぶ重要な水路でした。
奈良時代から戦後まで木材が最大の産業だったので、上流で伐採した木材を川で下流に流し、大都市で利用していました。
木材は建築資材から紙、家具や燃料と何にでも使える万能資源だったため、木材の産地は栄えていました。
林業による繁栄は永遠に続くかと思えたが、石炭による工業化と石油の登場、さらに輸入木材で打撃を受けました。
これから目指す中津川では昭和45年頃の世帯平均所得が、奈良県平均の3分の1だったそうです。
当時奈良県の平均所得が東京など大都市の3分の1くらいだったので、奈良山間地の平均所得は東京の1割だったことになります。
これではとても暮らしていけないので山から下りる人が続出し、今木こりで生活している人はほぼ存在しません。
大塔町飛養もそんな小集落の一つだが、幸運にも国道168号線の近くなため、他の地域に通勤が可能です。
飛養集落の登り口です
全部危険で移住させたいようですね
斜面の上に建物があります
上から見るとこうなってます
横から見るとスロープが付いています
集落上からの眺め
下の家にもスロープと車庫があって、ここの流行らしいです
大塔村時代の標語を書いてある棒
空き家風だが畑に柵があるので住んでいるようです
川原樋川を遡り中津川へ
天ノ川や十津川流域にも産業はあり、防災工事や建設会社、水力発電や小規模な観光施設などがある。
飛養集落は戸数20軒ほどの傾斜集落で、注意カンバンをみると集落全体が土砂崩れの危険区域に指定されていた。
かなりの家は一部を改造して車庫にしてあり、自動車を所有して運転する年齢の人が居るとわかる。
もっと高齢化が進んだ過疎集落では自動車を見かけず車庫もないか崩壊しているので、活気がある集落の特徴と言える。
飛養集落を後にして天ノ川の支流の川原樋川沿いに、県道734号線を進むと道は急に狭く険しくなる。
734号線を野迫川村に出るまで走ったのだが、すれ違った車は2台(一緒に走っていたので実質1台)だけで、その間野生の鹿を2匹見かけた。
つまりここでは自動車より鹿の方がすれ違う確率が高く、道は細く岩がむき出しで、尖った落石が道路上に散らばっている。
川原樋川には何本か橋が架かっていたが、半分くらいが通行止めで通れる橋は3本しかなかった気がする。
通行止めの理由は橋の向こうが廃村になり、その後水害などで道路が破損しそのまま廃道になったようです。
2018年秋の水害でまた土砂崩れが起きたようで、巨大な砂防ダムをいくつも建設していました。
こうした超限界地域では災害でも起きないと国の予算が出ないので、案外悪い事ばかりでもない。
上流の防水工事をしないと下流の奈良や大阪の都市が被害に遭うので、予算が降りて土建会社が潤い、それが住民の収入になるのでした。
ここでは災害も住民と持ち持たれつの関係で、まったく水害がなくなっても困るのです。
三角の橋を渡っで右側を奥に進みます
いきなりこんな道、土建会社は防災工事で忙しい
川沿いの橋の半数は通行止めでした
奥の方まで砂防ダムが続いていて、王家の谷みたいです
この橋も通行止め
板が落ちた吊り橋、10年前は板があったようです
何かがいます
別の場所でも同じいきものを見かけました
この日の目的地中津川の入り口に到着
つづく