上北山村は古代史の秘境 神武天皇も通った道
奈良最強の田舎
奈良県南部の山間地は西側の十津川水系沿いと、東の吉野川や北山川が流れている方面に分かれている。
西側には十津川村や天川村があり、東側には上北山村と下北山村、川上村などがある。
どちらも吉野方面から和歌山県の太平洋に出るのだが、東西の間には山系があるので車でも山越えは難所です。
十津川ルートのほうが歴史が古く、古事記や日本書紀には初代神武天皇もここを歩いたと書かれている。
こうした歴史は推測ではおよそ西暦300年頃と考えられ、もっと古くから人が住んでいたようです。
一方北山村がある東ルートはもっとも古い記録でも平家滅亡以降の1200年頃だそうです。
伝承では壇ノ浦の戦いで源義経に破れた平家の落ち武者が、この地に逃げ込んで隠れ住んだとされています。
隣の十津川村も都から逃げて隠れてきた人が居たが、北山村はもっとレベルが違う秘境だったのが分かる。
上北山村と下北山村に分かれていて、面積が2倍ほど大きい上は人口400人ほど、下の方は小さいが人口700人以上と多い。
西原集落の白い橋は滝見橋といいます
昭和33年完成のどす黒い橋ですが、最近塗りなおした
路面が網目で下が見える上に、ミシミシ音がします
近くにあった作業場のような建物
手前は養殖池だと思ったんですが、写真を見るとプールですね
すると行き止まりの広場は校舎跡で、滝見橋は通学路だったかも知れません
集落近くのバス停、絵のセンスが40年くらい前
集落唯一(たぶん)の自販機もある
神武天皇の東征ルート
なぜ町村合併で一緒にならなかったのかは謎で、紛らわしい事に隣の和歌山県には北山村があり下北山村に隣接しています。
上下北山村は奈良県に所属しているが、五條市や吉野町より和歌山県の尾鷲市のほうが近いです。
上下の北山村は神武天皇が奈良を征服した東征のルートで知られ、神武天皇が座った石という怪しげな場所もあります。
神武天皇は最初大阪に上陸して生駒山を越えて奈良盆地に直行しようとしたが、予想外に敵は強く山を越えられなかった。
そこで作戦を練ってわざと紀伊半島を迂回して最難所の北山ルートから敵の背後に回りこんだ。
不自然なようだが敵の背後に回るのは兵法の定石であり、理にかなった攻撃ルートだと思います。
神武天皇は北山方面を通って奈良盆地の東にある宇陀市の豪族を攻め、山を下って橿原市に達しました。
神武天皇が奈良盆地を攻めた理由は当時もっとも高価な交易品だった辰砂(水銀)を独占するためだったと推測されています。
紀伊半島は日本最大の水銀産地で、中国では不老不死の薬など万能原料として高く売れたのです。
こうして神武天皇が奈良に達したのは、邪馬台国や三国志と同じ西暦200年台の後半だったと考えられている。
果たして神武天皇と邪馬台国や三国志は関係があったのだろうかというのが歴史のロマンです。
西原集落の全景、民宿もあります
西原の数キロ先には道の駅上北山がある
立ち寄ったのは村で唯一のコンビニ(ヤマザキ)が在ったからで、パンとコーヒーを買いました
トンビにパンを奪われてみたいと思ったが、雨のせいか現れなかった
寂しく見えるが上北山温泉がある一番の繁華街です
こうすると賑わって見えますね。村の人口より観光客が多い
普段は釣り人がメインの静かな村です