東吉野村の高見と四郷 神武天皇も通ったルート
東吉野村は山岳地帯の始まりに位置する
奈良県東吉野村は奈良県真ん中の右側辺りにあり、地図で見ると奈良市に近いので栄えているように見える。
奈良県は上の1/3ほどが平野で平野の下半分は農村、都市と言えるのは奈良市内の一部だけです。
東吉野村が在る辺りは平地が山に変わって既にコンビニとかはなく、民家すらまばらな山間地です。
左側の吉野町には狭いながらも市街が在るのに対し、東吉野村は人里離れた山奥といった趣になる。
人口1,506人は奈良県南部よりは多く、1000人を超えると動物より人間が多く、それなりに賑わっている印象がある。
これが人口数百人の村だと小学校が廃校になっていたり生徒が6人しかいないなどいかにも寂しい。
東吉野村は地理的には平野部の市街に通える距離で、通行止めさえなければ通勤も不可能ではない。
東吉野村が歴史の舞台に登場したことが2度あり、一度目は神武天皇が奈良盆地に攻め込むときここを通ったとされる。
2度目は幕末の志士、天誅組が幕府に追われて落ち延びた際にここを通った。
東川の上中井集落
民家は川の下流にかたまっている
この橋は向こうの農家のための橋
山間集落にはこのような墓地が多い
道端にある白山神社
湿気で苔がすごい
渓流の釣り堀の先は林道になっていた
吉野川の高台に集落が見えたので上がってみます
神武天皇がここを通り奈良盆地に攻め込んだ
神武天皇は九州を出立して最初大阪に上陸し、生駒山を越える最短ルートで奈良に攻め込もうとしました。
だがこれは山岳地で阻まれて一旦退き、紀伊半島を迂回して三重県熊野から再上陸します。
熊野から奈良盆地へは現在もろくな道がない難所であり、2000年前は軍勢が歩いて超えるのはほぼ不可能でした。
超えられるとすれば熊野から川沿いに上北山村に上り、また川沿いに東吉野村に降りるしかないと思われます。
川沿いに歩けば水が少なければ山越えより遥かに楽に、敵の背後に回り込んで奇襲をかけることが出来る。
東吉野村には神武天皇が立ち寄ったり戦勝祈願したとされる場所がいくつかあるが、走破ルートして理にかなっています。
神武天皇とヤマトがどうしてもこの地を征服したかった理由は、当時もっとも希少な水銀が取れたからでした。
水銀の原料となる辰砂は万病の薬や塗料や化粧品などに使われ、中国に持っていくと青銅や進んだ技術と交換できた。
奈良県南部には丹生神社とか丹生川など丹生がつく名称が多いが、丹生とは水銀を差す言葉でした。
東アジア有数の水銀産地を征服した神武天皇は奈良に都を開き、日本を代表する国家を建設しました。
面白い地形です
よく手入れされている
アンテナがあるので住んでいるかも知れない
ワイルドな感じがする家
四郷という集落の釣具屋だが営業しているのか分からない
住んでいるような居ないような微妙な家が多い
帰り道の吉野川では釣り人が多かった
この木の橋はお気に入りスポット