奈良県川上村の瀬戸地区と、神武天皇が通った井光
中奥川の瀬戸地区
前回は奈良県川上村の吉野川支流、中奥川に沿って遡り、中奥地区まで来ました。
中奥川のもう少し下流にあった昭和っぽい団地の名前が「瀬戸団地」で、中奥地区の奥地のほうを瀬戸地区と言います。
瀬戸地区という看板があっただけで人が住んでいる民家は一軒もなく、完全に消滅した集落です。
瀬戸地区の看板を過ぎたあたりに短い隧道があり、岩を手彫りでくり抜いただけの姿をしています。
コンクリや鉄骨などの補強は一切ない珍しい隧道なので、トンネルマニアには良いかも知れません。
中奥川沿いの隧道より先は何軒か民家が存在するものの廃屋で、時々開いた空間があるのは家が建っていたのを示している。
昭和50年頃に瀬戸地区の20軒ほどの民家がそっくり下流の瀬戸団地に集団移転してきました。
移転理由は瀬戸小学校の廃校によるもので、驚くべきことに中奥川の奥に小学校が存在した。
文章や写真ではピンと来ないが、今は完全に自然に還っていて、釣り人と登山者しか通らない。
途中に山に上がる道があり上りかけたのだが、先端の尖った石でパンクしそうだったので引き返しました。
家に帰ってから確認すると、やはり少し上がった場所に瀬戸集落や小学校が存在したらしいです。
奈良県南部の山間地の落石はナイフのように鋭いので、バイクはきちんと避けて走らないとパンクします。
瀬戸地区の入り口だが周囲に家はない
瀬戸地区の隧道です
ツルハシとかで掘ったんでしょうか
道は奥まで続いているが崩れていました
中奥川の上流部、魚が釣れるらしいです
一本下流の井光川の井光地区です
神武天皇が立ち寄った場所に建てられた井光神社
後ろの樹がすごく大きいです。樹齢数百年でしょう
神武天皇が立ち寄った井光
中奥川から少し吉野川の下流に井光(いかり)川という支流があり、井光地区という集落があります。
多くの家が廃屋化していた中奥川より開けた印象で、川から少し上がった所に数十軒の集落があります。
以前は100軒以上の民家があったような大きな村で、神社が2つと寺も残っている。
やはり残った半数以上が空き家のようですが、車庫や車が見えるので、若い人も住んでいるようです。
井光川は川沿いにキャンプ場やレジャー施設、食事をする場所(閉店していたが)があり、村の中にも民宿を見かけた。
こうした観光施設で働いたり、道が整備されているので町に通勤している人も居るでしょう。
先ほどの中奥川は大きな村がなく、レジャー施設というものも無かったので、働く場所がなかったのが大きな違いです。
川上村の観光ガイドには神武天皇が通った「かくれ里」と紹介されている。
神武天皇がここを通った時、井戸の中から光る尻尾を持つ人間が出てきて、「国津神、名は井氷鹿」と名乗ったと古事記に書かれている。
井光川を上って神武天皇と同じように山を分け入って尾根沿いを歩く事もでき、途中には神武天皇が立ち寄ったとされる滝もある。
川沿いのルートは決まっているので、神武天皇が井光川を通ったなら立ち寄ったのは事実でしょう。
井光のメインストリート、民宿とかがある
集落最上部にも神社があり、民家の横を通らないと行けない
井光の稲荷神社です
ここに来るのは村人だけでしょう
井光集落はけっこう家が多いし車も見えます
井光川は100トン以上ありそうな岩が転がっている
神武天皇が立ち寄った岩戸の滝
滝を撮るのは苦手です
この岩もやがて落ちて井光川に転がるのでしょう
おわり