十津川村立二村小学校跡と周辺集落
孤立した山間地に豪華ホテルのような廃校
十津川村の風屋花園という地区から脇道に逸れた場所に、今は廃校になった十津川二村小学校跡があります。
十津川の対岸からは昔のリゾートホテルのように見える白い建物で、今も清掃すればすぐに使えそうです。
廃校になったのは2010年と最近で、昭和前半には33校あった十津川村の小学校は2校に集約された。
昭和前半には十津川村の人口が1万5000人を超えていたが、現在は3000人にまで減少している。
だが隣の野迫川村は500人、周辺の村も800人から多くて2000人未満なので奈良県南部では十津川村はむしろ栄えている。
二村小学校がある道は行き止まりになっていて数軒の民家というか借家風の建物が建っている。
一体なぜここにミニ団地のような集落があるのか、山から下りてきた木こりの子孫か何かかも知れない。
二村小学校の校舎裏側には手掘り隧道があるらしいが、それを知ったのは帰ってからで残念ながら撮影しなかった。
その隧道を通って山の反対側の集落から児童が通学していたというので、機会があったら確認してみたい。
十津川村立二村小学校(2010年廃校)
玄関は閉まっているが
外廊下を歩ける
ベランダから見る十津川の流れ
遠くに風屋ダムが見える
下に降りるとこの辺に伝わる昔ばなしが書いてあった
見慣れないチョウチョが葉っぱに止まっている
チョウチョの先にはプールが残っていた
老人ホームが地区最大の産業
今回の目的は十津川村の国道168号線から枝分かれしている旧道を手当たり次第に走る事なので、行き止まりの道にも入ってみた。
国道からすぐの道が整備されている集落は栄えていて、中でも十津川村山崎という集落は大規模だった(といっても30軒ほどで半数は空き家)
十津川村には珍しい事業所らしい建物もあり、経済活動が行われている。
十津川村のほとんどの集落には商店や会社がないのでお金を使った貨幣経済というものが成立しない。
買い物ができない場所で人々がどうやって生活していたのかは謎で、行商人が来たり集落内で物々交換していたのかも知れない。
集落の人口が一定以下になると行商人も来ないだろうし、集落内の物々交換もできなくなる。
十津川村池穴という集落にはこだまの里という障害者支援施設があり、他の地区にはいわゆる老人ホームが点在している。
事業所がない十津川村ではこうした施設は巨大な就業場所になり、かなりの住人がこうした場所で働いている。
都会で老人ホームを建てるより安く済むので、奈良県の南部の山間地に多い。
プール横の建物には「女子更衣室」の張り紙が残っていました
2010年までここで水泳授業をしていたはず
グラウンドを歩いていると
鹿の足跡らしいのがありました
プールの上にも建物があり
學校の先にも民家があって車が数台止まっています
これは空き家ですが右手の大きな建物は宿舎か寮のようにも見える
つづく