高見小学校跡と高見川沿いの高見集落
高見小学校跡と高見集落
神武天皇が通ったかも知れない吉野川とは吉野町で分かれて、高見川という支流沿いの道を上ります。
すると地名は東吉野村に変わり、村中すべて過疎集落みたいな風景になります。
高見川沿いに国道166号線の高架道路がまっすぐに通っていて、川沿いの下の方を旧道の県道28号線が通っています。
高見地区という集落に国道からでも見える大きな建物があり、それが旧高見小学校でした。
2005年に廃校になり建物内には入れないが、行った時はグラウンドが開いていて校舎の周りを自由に散歩できた。
東吉野村には小学校が10校あったが現在は1校だけになり、それだけ子供の数が減った。
だがこれはまだ良い方で十津川村には33校あったのが現在は2校だけになり、野迫川村は小学校があるが生徒は1学年2人くらいしかいない。
廃校を回ろうかなと思ったこともあったが、廃校跡のほとんどが廃集落でとてもダークな気分になるので辞めました。
荒れ果てた集落の跡は人類が滅亡した後の地球にタイムスリップしたみたいで、たまに見れば十分です。
高見川のこの辺は護岸されていているが景色はきれいです
国道166号線を走っていると下の方に学校とプールが見えます
錆びてほとんど読めない標識
廃スタンドは新しい国道ができて利用者がいなくなったのでしょう
唐突に高見小学校が現れます
高見幼稚園と書いてあります
左の建物が幼稚園だったのかも知れません(今は介護センター)
東吉野村最後の小学校も生徒数28人
高見小学校は鉄筋コンクリートのかなり大きな校舎なので、生徒数200人以上は居たのではないかと思います。
高見小学校は2005年に統合されたが、HPを見ると統合した東小学校の校舎が完成した2006年3月まで高見小学校の校舎を使用していたとあります。
東吉野小学校の現在(2019年)の生徒数は28人で、おそらく統合前の高見小学校はもっと少なくなっていたのでしょう。
最後の小学校も生徒数を維持できなくなると隣町の小学校と統合し、次第に自治体の機能を失います。
過疎の集落を回っていると小学校がある地域は住人が団結してまとまろうとするが、小学校がなくなると力尽きたように崩壊しています。
子供が居なくなった村を守る必要もない訳で、若い人は町に引っ越して70代以上の老人だけが残ります。
自治体も子供が居ない集落は将来消滅するものと考え、インフラ整備などの投資をしなくなります。
高見集落は国道沿いで宇陀市や吉野町に通えるので、車で通勤している人が多い印象を受けました。
若い人が集落に残って通勤できるとしても、子供がほとんど居らず移住してくる人も居ないので、少しずつ住民は減って行くはずです。
グランドと道路の壁にはボール遊びの的が書いてあった
横の建物は給食室かなにかでしょうか
一輪車が掛けてあります。他の人の昔の写真にも写ってるので廃校前からあるんでしょう
玄関には立ち入り禁止の意味なのか木が置かれている
これは飼育小屋みたいです
グラウンドは整備されています
校舎から校門を見た景色
学校近くの家は商店だったのでしょう。子供たちがアイスを買ったりしたんでしょうか
つづく