東吉野村の岩神神社 神武天皇が歩いた道
廃屋臭と森の臭いの違い
前回は吉野町の謎の廃屋レジャー施設に立ち寄ったが、その道路の反対側に岩神神社という古い神社があります。
全体に苔むしていて汚い感じで香ばしい臭いもするので、用のない人は立ち寄らない感じです。
この臭いですが過疎集落や廃屋の近くに必ずあり、臭いで近くに廃屋があると分かるほどです。
湿気を帯びた古い木材が腐敗して熟成されたような、バイオハザード的な臭いでそれが好きな人も居るようです。
自分は全身が虫やバクテリアに汚染されるような気がして、廃屋の中には入らないようにしています。
廃屋の写真集や動画が美しかったりしますが、木材が腐敗している場所は酷い匂いがする筈です。
どちらかというと若葉の匂いとか、森の渓流のマイナスイオン的な爽やかな匂いのほうが好きです。
岩神神社と反対側の廃屋、周辺にも廃屋や空き家があってこの辺一帯に「やばい臭い」がしています。
この臭いがする場所には立ち寄っても良いが、エイリアンに卵を産み付けられたり、取り憑かれないうちに退散します。
前の道を走るだけで香ばしい香りがします
大岩は吉野川からでもはっきり見える
岩が主人公で岩の為に神社があるのが分かる
神社から見た吉野川と対岸、渇水期の川は歩けるほどの水量
下から見上げるとかなりの迫力
神武天皇もこうして見上げたかも知れません
手水舎は日露戦争(明治三十七八年戦争)の戦勝記念だった
神武天皇一行が歩いた道
岩神神社境内の説明によれば岩神とは神武天皇東征に協力した吉野の岩穂押開神の事です。
岩上神社の後ろには推定重量数千トン以上の大岩があり、この岩があったからこの場所に神社が作られた。
神社がいつから在ったのかは謎だが、近くには縄文時代から古墳時代にかけての宮滝遺跡がある。
山ばかりのこの辺りでは吉野川沿いが交通ルートで、川沿いの巨岩は嫌でも目立つ存在だったでしょう。
神社はなかっただろうが弥生時代やもっと前から信仰の対象だった可能性は高い。
吉野川を遡って紀伊山脈を超え、川を下ると神武天皇が上陸した熊野に出ることができる。
つまり吉野川を遡って川沿いに熊野に行くと、神武東征を逆ルートで通る事になります。
紀伊山脈を越える行程はずっと後の8世紀になっても修験者が山越えルートを通れなかったほどの難所でした。
でも渇水期に川を歩けば道にも迷わないし、割と簡単に通れたと推測できます。
従って神武天皇が実際に岩神神社前を歩いて大宇陀市方面に向かった可能性は高いです。
これから大戦争に向かう一行が立ち寄って大岩に祈願するのは不自然ではない。
もう少し吉野川の上流、ここも水が少なければ軍隊が歩ける
神武一行がここでお弁当を食べたような逸話はない
だが一休みしたくなる場所だ()
森に続く道も神秘的
丹生川上神社、ここも神武天皇が立ち寄ったとされている
昔は大通りだった旧道、古い民家が並ぶ
支流の高見川に分岐すると石がゴロゴロしている
平坦な吉野川のほうが歩きやすい
アユ釣りをしている人が居ます
高見川沿いの集落
つづく