奈良県川上村の武木集落
川上村の武木集落
奈良県川上村は地図の左上から右下を吉野川が流れていて、平野部に出る前に大滝ダムによって調整されている。
大滝ダムの底には大滝集落があり川上村の中心集落だったが、今は移転し吉野川に沿って小集落が点在している。
大滝ダムの少し上流、地図でいうと右側に武木という集落があり「たきぎ」と読みます。
川上村の集落は吉野川の支流沿いにあるが、武木集落も地図に名前が載っていないような川に沿っている。
細い川沿いに民家が数軒あり、舗装林道を登ると戸数数十軒の民家が現れます。
こうした山間地としてざっと30軒ほどはある大集落だが、例によって住んでいるのは10軒程度だと思いました。
先日行った隣の支流にある井光集落には、神武天皇が立ち寄った伝説があったが、武木集落には何もない。
井光と武木は雰囲気も似ていて、過疎ではあるが人の気配があり、コミュニティが存続している気がしました。
それは公民館が手入れされていて苔やツタが生えていなかったり、神社が汚れていないなどちょっとした気配です。
武木集落は国道から近く、吉野町や五條市への通勤も可能な距離なので、若い人(40代だが)も住んでいるようです。
数えたら7月26日以来の晴れでした(9月初め)
大滝ダムができる前の旧道か仮設道路のようです
ここで吉野川と分かれて武木に向かいます
すぐ寂しい山道になる
最初に道沿いに見えてくる民家
良い雰囲気ですが、早くもカメラがオーバーヒートで不調です
看板を見るまで「ぶき」だと思っていました
ダムで分断しダムによって存続する川上村
実用上あまり使わない場所の手入れが行き届いているのは、住民が協力して清掃しているのでしょう。
武木集落には武木小学校もあったが1964年(昭和39年)とかなり早い段階で廃校になっていました。
現在の小学校跡はグラウンドがガランとした駐車場になり、校舎が建っていたと思われる場所に公民館がある。
大滝ダム建設のきっかけになったのは1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風で、1962年に建設が始まったが完成したのは2012年と最近でした。
大滝集落や周辺の小集落は早々に移転が決まり、その頃に武木小学校も廃校が決まったのでしょう。
これほど建設が遅れたのはダム反対運動に加えて、公共工事への批判やダムは不要という風潮もあった。
ところが地球温暖化のせいなのか毎年のようにどこかで豪雨の被害があり、最近はまたダムが必要だという事になっている。
ダムによって環境が破壊され村が消滅したのも事実だが、じゃあダムが無ければ村は栄えたかといえばもっと衰退したでしょう。
ダム工事やダム補償金、水利事業による収入や優遇などがなかったら、川上村は今よりもっと衰退していたでしょう。
林道沿いは崖なので石垣の上に道がある
道沿いにあった古い作業小屋
昔は洗濯機を置く場所がなかったので、外に置いて使っていた
見えないけど赤とんぼが電線にたくさんとまっています
思ったより新しい家が多い
一番上あたりからの景色
この辺は空き家でした
武木小学校跡で、奥にあるのは集会場