大滝ダム周辺の集落 大滝地区と井戸地区
ダムに消えた大滝集落
奈良県の吉野町を流れる吉野川上流に大滝ダムがあり、吉野川支流に多くの小集落が存在する。
ダム建設で沈んだ集落もあったが、沈まなくても現在は限界集落になったか消滅していた筈です。
国道169号から大滝ダムの堤体に行く道は、ダム直前で左の山に登る道があります。
その道を上るとダムを見下ろせて眺めが良いのですが、民家十数軒の小集落になっています。
まだ新しい建物が多いので、ダム建設に伴って水没した地域から高台に移転したのだと推測できます。
大滝ダムは399戸が完全に水没し475世帯が移転するなど、大滝集落中心部が消滅しました。
現在は高台に存在する丹生川上神社上社も今のダム底にあり、発掘の結果縄文時代から遺跡が存在したのが確認されている。
現存すれば神社と縄文人の関係を立証する決定的な証拠になったかも知れない。(ダム底に『保存』はされている)
中心部が消滅した大滝集落は、大半の人が下流の吉野町や大淀町に移住し、分断された周辺集落は過疎化していった。
大滝ダム下流の吉野町、コンビニがある最後の地区
ダム下側にある集落
ダム下からはこんな風に見えます
下の道は工事で使われたのでしょう
下はこれ以上近づけません
ダム堤体から、下に広場があるが普段は入れない
ダムの上には小さな神社があります
ダム上に移転した集落や国道が見えます
壊滅集落は自然に還って行く
もっともその後の状況を見ると、ダムが建設されなくても過疎化が進み限界化していたでしょう。
こうした犠牲を払って大滝ダムを建設した理由は1958年(昭和33年)伊勢湾台風にあり、死者4600人を出した。
被害家屋は15万棟以上におよび、吉野川のダム建設は国家的事業となりました。
ところが壊滅する大滝集落を中心に反対運動が起きて、用地買収終了が1996年、ダム完成は2012年にずれ込みました。
吉野川には多くの支流があって、その一つ一つには数十軒の民家からなる小集落が形成されていました。
最初に行った「井戸」という集落は支流ではなくダムを見下ろす山の上にあり、数十件の民家が存在している。
見たところ空き家が多いが車庫があったり車を置くスペースがある家は、おそらく吉野町や五條市などに若い人が通勤している。
もう少し上流には中奥川という支流があり、川の源流まで限界集落が続いている。
ある程度奥に進むと人が住む民家はなくなり、高床式の廃屋や、崩壊した民家の痕跡が見られるようになる。
最上流部は木の伐採に使うスペースがあり、その先は釣り人や登山者しか通れないようになっていた。
ダム底からダム上に移転した集落
井戸という集落に上がってみます
生活道具がないので空き家ですね
人間は一人も見かけませんでした
人の痕跡がないのに清掃されている道を辿ったら、神社がありました
清掃が行き届いているが人の気配がない、寂しげな神社
高台から集落を見下ろす、立派な電波塔が目を引く
電波塔の下の民家もたぶん空き家
ダムに戻る途中、迷子犬探していますの張り紙があった
そういえば犬の鳴き声すらしなかった
つづく