大阪西成にあった今宮刑場(仕置き場)を探す
昭和のB級映画に出てきそうな商店街
過去を消そうとする大阪
江戸時代の大阪市には3か所の刑場(仕置き場)があり、最大のものは千日前刑場でした。
千日前刑場は今のビックカメラ横のカプセルホテルアムザが建っている場所に存在しました。
現在商店街になっている道は刑場から焼き場に運ぶ道で、非人達が荷車で運んでいた筈です。
現在NGK(なんばグランド花月)で漫才をやっている場所が焼き場で、江戸時代には香しい煙が立ち込めていたでしょう。
明治になって大阪市は刑場だった痕跡を徹底的に破壊しようとし、殆どの証拠を隠滅しました。
現在残っている痕跡は刑場周辺に在った寺の一つの法善寺、アムザ裏にある榎地蔵尊、当時から存在した墓地を含むアムザ横の寺だけとなっています。
もう一つの三軒家刑場(仕置き場)は今木刑場とも呼ばれていて、大阪ドームから徒歩15分ほどの場所に存在しました。
浪速区と大正区の間に木津川が流れているが、大浪橋の南側の両岸に、西に難波島、東に月正島という中洲がありました。
江戸時代のいつ頃かは不明だが最初浪速区側の月正島が刑場だったが、そちらは発展してきたので大正区側の難波島に移されたという。
現在大阪ドームがある北側は船奉行所が置かれていて、大阪ドーム周辺は全国から船が集まっていました。
荒っぽい労働者や一儲けしようという商人、やくざ者や密航者などが集まり、犯罪も多かったようです。
三軒家刑場で処刑されるのは重罪人で、焼くことも墓を作るのも、埋葬すら許されなかったそうです。
千日前刑場に行った時
有名なあいりん職安を過ぎて動物園の方に向かいます
ミナミの帝王で萬田銀次郎がコーヒーを飲んでそうな喫茶店の角から商店街に入る
商店街は思いっきり寂れています
昭和6年創業の床屋とかが営業しています
ホルモン屋の角を曲がります
ちなみに焼肉屋が多いのは渡来人集落だった地域が多い
タバコ屋付近で右に曲がります
地図によるとこの道の左区画が刑場でした
反対側に回ることにします
今宮刑場はあいりん地区の隣りだった
3つ目の今宮刑場(仕置き場)は現在の西成区にあり、簡単に言うとあいりん地区と天王寺動物園の間に存在しました。
三軒家刑場があった浪速区も旧渡辺村というエタ地域で、その始まりは仁徳天皇時代の渡来人集落に遡ります。
同和地域とも重複していて、刑場は大阪では絶対タブーとされ、ひたすら痕跡を消そうとしてきました。
今宮刑場もやはり同和地域であり、徳川幕府は渡来系の人たちが住んでいた地域に刑場を作ったのが分かります。
今宮刑場は飛田仕置き場とも呼ばれていて、有名な飛田新地にも隣接しています。
今宮刑場があった筈の場所を一周しても、慰霊碑や由来の説明版などは一切存在しません。
今宮刑場跡は現在大阪中華街にしようという構想が持ち上がっていて、10年後には中華街になっているかも知れません。
現在はあいりん地区に隣接する安ホテル街で、寂れた動物園前商店街の裏手に当たっています。
こういう事も歴史の1ページなので、慰霊碑や地蔵くらいあっても良いのではないかと思います。
このホテルラッキー周辺が刑場でした
一泊1600円からです
隣はホテルハナヤで一泊1500円です
周囲はこんな安宿街、外国人観光客が見えます
市街地なのに壊れかけた廃屋なんかもあります
昼間この辺をうろついてる男は、暇人か危険人物のどちらか
長期宿泊者向けのホテル、月4万台が多い
大通りの向こう側が動物園や通天閣
おわり