大正区南恩加島を訪問
公園でサッカーする子供たち
土地が余っているのか広い公園が多い
大正区は沖縄移住者の町
大阪市大正区は沖縄料理店が多かったり、シーサーを飾ってある家が多い。
大正区民の4分の1が沖縄出身者と子孫で、リトル沖縄とも呼ばれている。
大正区は元々は海だったのだが江戸時代に陸地化がすすみ、明治時代に工業地帯になった。
戦前から戦後にかけて造船や重工業の工場が建設され、沖縄からの移住者が多く働いていた。
沖縄は1972年まで米国領だったので本土と経済交流が絶たれ経済破綻したため、本土に移住する人が多かった。
高度成長期が終わると大正区の重工業も廃れていき、一種のゴーストタウンのようになっている場所もある。
南恩加島は大正区でも古い住宅が残されていて、逆に建て替える金がない貧しい地域ともいえる。
戦後の混乱期に大正区に住み着いた沖縄の人たちは、合法なんだか違法なんだか分からないが、その辺の空き地に家を建てた。
それが既成事実になって今も沖縄住宅が並んでいる、一種の「人権地域」なのだった。
昭和20年の空襲で多くの空き地ができたが、これ幸いと自分の土地にした人は多かった。
そうした不可侵地域は橋下知事が問題視した「同和利権」になり、大正区の一部もそうなのでした。
数十年が経って全てうたかたの夢となり、寂れきった町や工場や古すぎる家々が残されている。
昭和40年代かなと思う住宅が多い
典型的な大正区の家並み
道路に私物を置いて占拠するのは「人権地域」の特徴
レトロなアパートですが自転車とエアコンで現役なのが分かります
ここら辺も”らしい”ですね
もともとは大工場が立ち並ぶ重工業地帯だった
バイク屋さん周辺の寂れ具合が良い
スナックと床屋
阿倍野区や西成区を寂しくした雰囲気
神社と併設した公園、どの公園でも子供が遊んでいる
これも渋いトイレ。トイレを見ると住人の人間性が分かる
なんだか分からないくらい寂れた平尾商店街
時空を超えて存在する薬局
小学校の隣りの公園では子供たちが駆け回っていた
ピンクのアパート、屋根は壊れたままだが誰か住んでいるようです
こういうクルマが頭文字Dに登場しました
このアパートも現役レトロ
おわり