吉野の知られざる古代史
高見川を上流に上ると次第に川は険しくなり、大雨で流されてきた岩が転がるようになる。
やがて丹生川上神社の辺りに出るが、この辺は日本書紀や古事記より前の時代に、神武天皇が来たとか来ないとか書かれている。
丹生川などの「丹生」は水銀を意味しており、弥生時代から古墳時代には金や銀よりも高価な資源でした。
奈良県の東側から伊勢神宮にかけては水銀の産地で、この資源を得るために神武天皇が暴れまわったと考えられます。
中国大陸では水銀は不老不死の薬と考えられ、塗料や化粧品など幅広く使われていました。
水銀と交換で日本側は「卑弥呼の鏡」とか「青銅剣」のようなものを得たり、進んだ技術や仏教などの知識も得ていたようです。
神武天皇は水銀の採掘場所を奪われないため、飛鳥に宮殿を建てたり神社を建てて防御した。
こうした争奪戦が古代の奈良県で繰り広げられていたと考えると、田舎の風景も違ったものに見えてくる。
高見川沿いにあった祠
展望台のように川にせり出して眺めがいい
向う岸に民家がたくさん見える
板張りの木は吊り橋より安定している
丘の上に旧小川第二小学校が見える
今は資料館として使われている
向う岸に丹生川上神社が見えます
ここで神武天皇が戦勝を祈願したそうです
つづく