宇陀市榛原荷阪の林道風景
榛原荷阪の林道と渓谷
梅雨の合間に天気予報を見て奈良県南部も京都方面も雨だったが、宇陀市周辺の降水確率が低かったので宇陀市に出かけました。
地図の衛星写真を見ると宇田川上流の室生ダム周辺は緑が多く川があり、道が細く曲がりくねっています。
行く当てがない場合、この3条件で探すと秘境っぽい場所に辿り着くことが多い。
道が真っすぐだったり平地だったり道路が立派そうな場所は、有名な場所でも外れが多いです。
前日は豪雨で当日も上流では雨が降っていると思われ、林道沿いの川は激流のようになっていました。
河川のパトロールをしているらしい人が、不審そうに写真を撮る自分を見ていました。
室生ダムそのものは思ったより開発されていて見どころは無かったが、東側の山地は林道と渓流、古い集落になっている。
この辺りを榛原荷阪と言い、一種の秘境として竜鎮渓谷などが観光名所になっています。
宇陀市は神武天皇が飛鳥に都を作る前、この地の豪族を倒してから奈良盆地に攻め込みました。
大阪市内は降りそうな雲行き
宇陀川沿いの住宅地、高齢者しか住んでいない
宇陀川支流の名もない川沿いの林道
上流で降った雨のため激流になっている
雨は降っていないが山から染み出た水で濡れている
開けた場所に狭い農地と農家がある
自宅へ導くように花が植えてある
草むらに初代アルトがあり、ドアミラーに改造してあった
日本神話は宇陀の水銀を巡る戦いの物語
当時宇陀市周辺は日本最大の水銀の産地で、水銀を含む辰砂(しんしゃ)は金や銀より高値で取引されました。
水銀は塗料や医薬品などに使われれるので、中国に輸出して青銅などと交換されました。
弥生時代や古墳時代の遺跡から中国製の青銅器が大量に発見されるのは、この辰砂と交換したと言われている。
吉野ケ里遺跡など九州が中心だったのが奈良県に拠点を移したのも、この辰砂を得るためだったと言われている。
さらに古事記や日本書紀に書かれている日本神話も、辰砂を得るために九州から奈良県に都を移したストーリーだと言われている。
まあ「言われている」だけで証明されてはいないのですが、神武天皇がわざわざこんな僻地に攻め込む理由は他にありません。
紀伊半島一帯が水銀産地だったので、神武天皇は中心地である奈良盆地に都を開き、各地を転戦して支配権を固めました。
辰砂が取れたのは九州から瀬戸内海周辺と紀伊半島、最大の産地は宇陀で、この莫大な資金力でヤマト国家が誕生しました。
次いでヤマト国家はヤマトタケルによる東征で東日本も支配下に置き、日本列島全域を収める事になります。
こうした日本神話初期の出来事は西暦200年台から300年台と考えられ、資源を制した者が日本の支配者となりました。
ジブリの世界のような廃屋、腐った木の匂いがする
人間の手が入らなければ草が勝つという冷徹な真理
組んだ石垣が失われた文明っぽい
この道を室生寺まで行ってみようと思います
”良い道”になってきました
道が分かれていて左はロープが張ってある草の道
右は泥の道でこっちが室生寺なのでしょう
タイヤが滑るしバイクが汚れるので引き返すことにします
つづく