神社は神が「中から外を」見るもの
神社は神が人間どもを眺める「神目線」でつくられている
神社は人間のための施設ではない
神社に行くときほとんどの人は鳥居がある入口から入って拝殿に行き、境内を散歩して出ていくと思います。
ところがこれは人間から見た見方で、神社はそもそも人間のための施設ではありません。
神社の役割はまず魔物を封じる事で、次は神が一時滞在するために作られました。
記録にある最初の神社は伊勢神宮で、天照が心霊を込めて子孫に授けた八咫鏡(やたのかがみ)が祭られている。
第10代崇神天皇のときに疫病が蔓延し、天照大御神と倭大国魂神の祟りであるとして宮外に移した。
各地を転々とした末に伊勢神宮近くに安置され、伊勢神宮をつくって鏡を祭った。
アマテラスの霊力があまりに強すぎて疫病が蔓延したので、遠くに封じ込めた場所が伊勢神宮だったという伝承です。
もう一つの神社の役割は神が天から降りてきて一時滞在する場所で、神のためのホテルでもある。
神は白鳥に乗って地上に来ることが多いので、目印と止まり木を兼ねて「鳥居」が作られた。
鳥居は神から見えるように大きく作られている
神社は飛行場兼ホテルだった
飛行場も兼ねているので鳥居の近くには大きな鳥が離着陸する広場があり、広場の奥には本殿など建物がある。
神社が増えてくると神も忙しくなるので、資金力がある神社はより大きな目立つ鳥居や、豪華ホテルを建てて神が来やすくした。
神社の設計も神中心になっていて、村を見渡せる高い場所にあったり、快適に滞在できるようにしている。
村から坂道を上ったり石段を上がったところにある神社は、人間の都合はどうでもよく、神が喜べばそれで良い、
当然神社そのものも「外から中を見る」のではなく、中から神が眺めるように作られている。
下々の人間どもを観察しやすいように、本殿の中からは境内が見えるが、人間どもから内部は見えない。
仏教の寺院は参拝する信者のための施設で、そこで仏陀と面会するわけではない。
キリスト教は「天にまします我らが神よ」というように創造主は天にいるので、天井を仰ぎ見る。
キリスト教会は高く高く作ろうとするのも、神が天高い場所にいるという考え方でしょう。
階段の上にあるのも神が人間を見やすいようにしてある
巨大古墳の代わりに神社が作られた
神道の神は普段は天上界にいるが、神の方から神社に降りて来て、人間は願い事をしたり怒りを鎮めたりする。
最初の神社ができたのがいつ頃かは不明ですが、古墳時代が終わる前後に神社が増えています。
全国に巨大古墳が作られなくなり、入れ替わるように神社が作られたのには関連性がありそうです。
前方後円墳は神である王を祭る場所だったが、巨大古墳は面倒なので神社に変わったというような考えです。
前方後円墳は作った後使い道がないが、神社は公共施設として色々な目的に使うことができました。
また神社は小規模な軍隊が駐留するのに好都合であり、地方の反乱時に神社を経由して軍を派遣することも可能でした。
神目線では中から外を見る