ミトラのブログ 秘境と異世界

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知らない方が良い歴史、飢饉になるとどうなる

こうした絵は誇張に見えるが、近代の飢餓でもそっくりな写真が残されている

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https://tanken.com/famine2.jpgより引用

 

天明・天保の大飢饉は富の独占が原因

歴史の本や番組を見ていると頻繁に「飢餓」(きが)という言葉が登場し、大帝国が倒れたのも飢饉の影響などと言われています。

飢饉(ききん)は何らかの原因で大勢が飢えることで、その状態を飢餓と言います。

飢饉や食糧難が原因で政府が倒れた例としては、ロシア革命やフランス革命、辛亥革命、明治維新もそうかも知れません。


幕末の日本では天保・天明の大飢饉が起きて100万人以上がなくなり、天保飢饉の約30年後に幕府は倒れている。

天明飢饉でもっとも被害が酷かった八戸藩では人口6万5千人のうち3万人がなくなった。

天保大飢饉では大阪でも毎日100人以上が飢餓のためになくなり、大塩平八郎の乱がおきている。


大塩平八郎は大坂東町奉行の元与力で、1837年2月19日に総勢300人で決起したが、わずか半日で奉行所に鎮圧された。

大塩がなぜ怒ったかと言うと、実は天明・天保の両飢饉ともに、米は余っていて米不足ではなかったのです。

奉行所や商人や米問屋には有り余るほどの米があったが、上級武士と豪商が独占したために飢餓になった。


江戸時代の仕組みでは農民は年貢を支払うだけで、不作の時に農民に米を返す制度は無かったのです。

だから八戸藩で農民の半数が飢えてなくなっても、幕府や諸藩はまったく救済せず放置していました。

これでは幕府が倒れるのもしょうがないというか、自業自得です。

 

飢饉になった村で起きる事

このように多くの飢饉は農作物の不作が原因ではなく、豊かな人が富を独占して手放さなかったために発生しています。

不作になった農村では米一粒たりとも、粟やヒエすら採れないが、領主はそれでも年貢を取り立てようとします。

飢えて倒れている人から食料を奪い、床下や裏山に隠していた非常食料すら奪い取りました。


中国では1950年代に大飢饉があり、年代が新しいので証言者や記録写真が残されています。

飢餓になった村は住民の9割がなくなったのだが、生き残ったのは富豪や権力者、食料配給係の役人と家族だけでした。

そうした特権がなかった家の住民は全員がなくなり、先になくなった家族を食べて最後は自分もなくなります。


天明飢饉と同じように富豪と権力者は自分の食料を与えるどころか、飢えた人から食料を奪って貯蔵しました。

住民がなくなるのは順番があり、最初に少女、次に老人、次に少年、次に妻、次に家長という順番です。

少女は育てても他家に嫁に出すので最も価値が低いとされ、次に老人というように、価値の低い家族の食料を断ちます。


そうする事で家族が全滅するのを防ぎ、労働力で家長の長男が生き延びる確率を高めます。

一言で飢饉といってもこうした壮絶なドラマが各家庭で展開されたのです。