ミトラのブログ 秘境と異世界

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神社や神道はいつ始まったのか?

 伊勢神宮の後に造られたという玉置神社

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あらゆる神社の創建年代が不明

先日奈良県十津川村の玉置神社に行ってきて、ブログに書くために創建時期を調べると、分からないと書かれていました。

伝承では崇神天皇61年なので紀元前37年、自分で作った独自年表だと、西暦310年頃かなと思います。

ところが崇神天皇が本当に玉置神社を創建したのかどうか、何しろ文字や記録がないので不明です。


伊勢神宮や出雲大社など日本のほとんどの神社も創建時期が不明で、前方後円墳のほとんども不明です。

前方後円墳は出土品を調べれば数十年単位で判明するが、天皇陵に指定されていると発掘できない。

日本中のほとんどの古代施設の創建や築造年が不明、というのがあちこちの神社や古墳を巡った結果でした。


これではあまりパッとしないので、伝承ではなくもう少し科学的な手法で、神社の創建時期を推測できないか考えてみます。

だいたい「神社」が始まった時期が不明で、最初の神社である伊勢神宮は崇神天皇6年、つまり西暦300年少々に作られたとされています。

ところが2千年以上前に弥生時代の環濠集落では、すでに集落の中に宗教施設とされる建物が建っているのが分かっています。


推測ではそこで卑弥呼のような権力者や呪術者が、鏡などを用いて宗教儀式を行ったとされています。

弥生時代の宗教施設と神社の関係はまったく不明で、同じものかも知れないし無関係かも知れません。

崇神天皇が伊勢神宮を作るまで、日本には一切宗教施設が存在しなかったとも考えられないので、弥生時代の祭祀場が神社になった可能性はあります。

 

弥生時代の祭祀場が神社になった可能性もある

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弥生時代の宗教・祀り(マツリ) - 歴史まとめ.netから引用

 

最初の神社は西暦300年代?

2019年になって慶應義塾やオックスフォード大の共同研究として、宗教についての画期的な研究発表がありました。

「神」は集団の人口に応じて誕生した価値観で、人口100万人を超えると神が表れているというものです。

ここでいう神はキリスト教やイスラム教や仏教や神道のような、絶対的な力を持っていたり、人間を超越するような存在です。


縄文時代の人口は10万人規模、家族単位の集団で生活していましたが、土器を見ると「神」というより妖怪のような存在を信じていたようです。

動物とか山とか石とか風とか太陽とか、そうした自然物を神として信仰するのが縄文人の考え方でした。

人口が100万人単位になると唯一神とか絶対神が登場し、創造主とか宇宙の支配者みたいのが登場します。


古事記などに書かれた神々は自然神に近いのだが、アマテラスが登場した辺りから絶対的な存在としての「神」に変化していきます。

神道は最高神としてのアマテラスが居る一方で、八百万の神つまり無数のザコキャラも存在しています。

無数の神々がいるのはギリシャ神話に似ていて、人口が数十万人から100万人超に変化する前の特徴に合致している。


ローマ帝国で人口が100万人を超えたのはキリストが生まれた頃で、やはり人々は100万人を超えた頃に、唯一神であるキリスト教に移行しました。

日本で人口100万人を超えたのは西暦300年から400年の間で、人口数十万人時代には「神社」という規格化された様式は必要なかったと思えます。

それぞれの村でそれぞれの神を信仰していた時代が終わり、100万人の人が同じ神を信じるようになって「神社」になったと考えられます。


すると西暦300年代に即位したと思われる崇神天皇が最初の神社を創建したという言い伝えは、あながち矛盾してもいない。

崇神天皇が西暦300年代というのは、実在年代がほぼ特定されている応神天皇(西暦400年頃)や仁徳天皇(西暦400年少々)から遡って計算するとその頃だという推測です。

最初の神社である伊勢神宮創建と同時期に巨大前方後円墳が作られるようになり、神に対する考え方に大きな変化あったのが分かる。


巨大な前方後円墳が築造され、神社という画一的な施設が全国に作られ、すべての人が同じ神を信仰するようになっていった。

だが村々の神々も消滅せず、最高神である太陽神よりも位の低い神々として祭られていく。