現代の神社と古代遺跡の不思議な関係
最古の神社すらその歴史は「最近」にすぎない(写真は大神神社)
http://jinjajin.jp/shrine/nara/sakurai/oomiwa/image/01.jpgより引用
現代の神社の歴史は新しい
今回は神社の起源ですが長いです。
神社の歴史は意外に新しく、現在の形になったのは仏教の寺よりも遅かった。
というより先に仏教が伝来して立派な寺院を建てたので、模倣して「神社」というものを作った。
神社と寺の建物が似ているのはこのためで、仏教伝来以前はかなり違っていたと推測されている。
全国に10万社を超える神社が存在するが、常設神社に建物が建てられたのは、古事記や聖徳太子の時代以降でした。
古事記や日本書紀には数百年前と書かれている場合もあるが、そう書いてあるだけで、物証があるわけではない。
記紀が書かれた西暦710年には現存する多くの神社が存在していて、西暦600年代には神社創建ブームがあったようです。
この時代には奈良を中心に大道(官道)いまの高速道路か国道に相当する道が始めて作られ、大道の中継地に神社が作られていった。
西暦600年以前は文字がないので記録もなく、伊勢神宮などが存在していたという記録も残っていない。
初期の神社は可動式で、鳥居や社はあったかも知れないが、移動可能で祭りや儀式のときだけ建てたと考えられている。
弥生時代の祭りの様子(橿原市博物館)
戦士や力士が踊る
古墳時代以前の神社
古墳や遺跡をめぐっていると、1400年前は「最近」であり、それ以前の日本は少なくとも3万年続いていました。
神武天皇の即位は2678年前ですが、それすら「最近」にすぎず、アマテラスが地上に降りたのすら「最近」の出来事です。(アマテラスは神武天皇の5代前)
古事記の年代が嘘だとすると最初の天皇即位は西暦500年ごろ、「大王」や「王」の時代に遡って西暦200年代というところです。
王や国家の前の各地の宗教はどうだったかというと、弥生時代の集落には広場があり、宗教施設が建てられていました。
さらに遡ると縄文時代には村の中心に広場があり、広場を中心に家々が環になって囲んでいました。
さらに遡ると旧石器時代には広場の中心に石を置いた環状列石が見つかり、小さなものは日本中で見つかっています。
旧石器時代はマンモス(?)を追いかけて移動していたので、家というものは無く、そこで儀式をしたり墓を造っていました。
縄文時代には定住が始まり、広場の周りに家を建て、広場ではやはり祭りをして墓が作られました。
弥生時代になると集団が大きくなり、広場は村はずれや村の外に移動し、建物が建てられたりしました。
卑弥呼はシャーマン(巫女)だったとする見方が根強い(弥生文化博物館)
神社と似たものを過去に遡ると、最終的に3万年以上前の環状遺跡に辿り着く
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/%E7%92%B0%E7%8A%B6%E9%81%BA%E8%B7%A1.gifより引用
3万年前の祖先崇拝
古墳時代になると「国」や「王」が生まれ権力者の墓である巨大古墳が大量に作られた。
権力者の墓が広場から出て行き、仏教が伝来すると墓は寺院に作られたり、村から離れた場所に移動した。
こうして人々が住む村には儀式や祭りを行う広場だけが残り、7世紀頃に「神社」というものに変化した。
神社は宗教色を強めて体系化され、日本神話というものが作られ、明治になると国家神道が生まれ近代に至る。
現代人が昔からあると思っている神社や神道の要素の多くは、最近100年かせいぜい1000年の間に作られた。
古墳年代以前の神社は、あまり宗教色のない、それぞれの土地の祖先を祭るような場所だったと考えられます。
その大元を辿ると旧石器時代の環状列石にたどり着き、2万年以上も断絶せずに続いた祖先崇拝や自然崇拝だと考えられる。