古事記・日本書紀の裏ストーリー
記紀はいったい何を言いたいのか?
弥生人が九州を出て出雲を経て飛鳥に至る、その過程を神話で説明しようとしている
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/special_exhibitions/WAJIN/141S.jpgより引用
九州から始まった弥生化が飛鳥に至るストーリー
古事記と日本書紀の内容は真偽をめぐって度々論争になり、でっち上げだと批判する人も居ます。
2つ合わせて記紀と言いますが、大きく3つの要素を合成した内容になっています。
前半はヤマト国家が成立する前の物語を、神々の神話としてストーリー仕立てにしてあります。
ここでは神話として非常に古いできごとを伝承しようとしているので、真偽かどうかには意味がありません。
聖書やギリシャ神話には現実にはありえない事がいろいろ書かれているが、「海が割れた」とかを「科学的でないから偽文書だ」と指摘しても意味はありません。
神話は神話を通して伝承したストーリーに意味があり、背後にある意図を汲み取るものです。
2つ目の要素はヤマト国家成立後のできごとを記録したもので、時間を遡るほど曖昧になるのはやむを得ない。
記紀が書かれたのは西暦700年代で、最初の前方後円墳は西暦200年以前なので、既に500年以上が経過している。
その間紙も文字もなく、口頭で伝えられたものを記録したのが記紀であり、このため初期の天皇は120歳まで生きたことになっている。
さらに分けると記紀が書かれた近い年代の記録は、数百年前より確実性が増してきて、現実の記録として書かれている。
この3つのうち議論を巻き起こしているのは神話の時代と、記録があいまいな初期の天皇についてです。
いったい高天原から出雲、飛鳥へと引っ越す神の一族の物語は、何を伝えたかったのでしょうか?
高天原の王だったアマテラスは出雲を征服し、神の一族は次に飛鳥を目指した
弥生人の拠点は九州なので、出雲を征服した高天原とは九州のどこかになる
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/tips_pict/11/31/22/650x450_11312201.jpgより引用
弥生化が飛鳥に至る1000年の流れ
古事記・日本書紀に書かれている神話時代は最初の天皇より遥か以前なので、最初の天皇の墓ができる西暦200年より前と考えられます。
この頃の大きなできごとは弥生文化の普及で、福岡の海岸に最初の渡来人が集落を作ったのが紀元前1000年ごろと推測されています。
西暦200年ごろまでには出雲や近畿地方も弥生化が進んで、農耕集落が西日本全体に広がります。
九州から出雲、そして飛鳥という流れは記紀に書かれている神々の移動と一致している。
つまり古事記・日本書紀の神話部分は、九州から始まった弥生化が中国や四国を経て近畿にいたる、その過程を説明しようとしている。
とすれば「高天原はどこなのか?」という疑問は自然に「九州である」という答えが導き出せる。
九州こそ弥生人が誕生した土地で、縄文人と交じり合うことで東へ東へと拡大しました。
弥生化は奈良に到達したときにピークを迎え、関東や東北に至るとヤマトという別なものに変化していきます。
日本列島全体を統治する王権が奈良に誕生し、天皇を中心にしたヤマト国家が成立していきます。
こういう大きなストーリーが古事記・日本書紀の神話なので、些末で詳細なことを記録した文書ではない。