十津川村の玉置神社は日本最古の神社
神社の前は、山など場所そのものが信仰対象だった
日本最古の神社ができた経緯
十津川村の南東部、紀伊半島のもっとも山深いあたりに玉置山と玉置神社があります。
玉置神社は日本最古の神社の一つとされるが、調べても創建時期は分からない。
独自に考察した結論としては崇神天皇在位の310年頃ではないかと検討をつけました。
根拠としては崇神天皇が創建した最初期の神社の一つで、三輪山の大神神社より後である点です。
神社という画一的施設が建てられたのは、ヤマト国家がある程度大きくなってからの事で、弥生時代には存在しません。
奈良県に都が置かれた後、巨大前方後円墳が量産された時期でもあり、それらの年代が西暦300年頃なのです。
可能性として最初の前方後円墳や最初の神社が西暦200年代だったかも知れないが、それ以前では在り得ない。
この事は記紀でも示唆されていて、神武天皇が都を開いたときに神社はなく、第10代崇神天皇の頃最初の神社ができたと記されています。
崇神天皇は三輪山の山裾に都を置き、山に上らず参拝するため、最初の神社である大神神社ができたとも言われている。
十津川高校は生徒数85人、中学は61人、小学校は6学年で100人なので、6年で3割以上子供の数が減っている
十津川高校の裏側には十津川が流れている
反対側もこんな景色
村で”最も栄えている”猿飼橋周辺、栄えている証拠に自動車屋さんが見える
十津川から玉置山に続く坂道を登り始めたところ
さっきまで居た十津川高校付近を見下ろしている
玉置神社駐車場から大鳥居をくぐると長い参道が続く
神社は山に上らず参拝できる場所だった
最初は神社そのものではなく山が信仰対象で、神社は平野から山を拝む場所として作られたようです。
まあ一々登山したくないし、なるべく近所で楽して神様にお参りしたいという事だったのかも知れません。
人間の発明は常にこうした「楽をしたい」というような事が動機だったりします
例えば古墳から大量に出土するハニワですが、最初は王の墓に本物の人間を埋めて人柱にしたが、合理化されて人形を埋めるようになった。
玉置神社は玉置山の標高1000m近くにあり、やはり最初は神社ではなく山が信仰対象だったと想像できます。
信仰対象の玉置山に上ったところに神社があるので、三輪山と大神神社の関係とは違っています。
紀伊半島は昔から修行の地として使われていて、1000m級の山を徒歩で横断して自分の限界を試すような事が行われていました。
人間の限界を超えた修行をし辿り着いた場所に玉置神社があり、その先には熊野三山などがあった。
険しい山脈を超えて玉置山に上らなくても参拝できるように、ここでも平野部に無数の神社が作られていった。
こうして日本中の村々に神社が増えていったと想像できます。
参道途中の砂防ダムが良い感じでした
途中に山の神がある。最初の神社はこんなものだったのかも知れない
道が2つに分かれていて「お体の不自由な方は左」だったので、何も考えず右に進みました
写真で見るより歩き難くて、ハチとか虫も多いんです
なんでお身体が不自由な方を選ばなかったのだろう
巨木があると迂回するんですが、見慣れてきて「邪魔だな」と思うようになります
キラキラ光る黄色い花が岩にくっついています
苔の花なんでしょうね、とても綺麗です
やっと建物が見えてきました
つづく