梅雨の合間に旧大塔村の集落めぐり
町村合併した旧大塔村の現在
奈良県の五條市は不思議な形をしていて、上部分と下部分の中間が細くなってえぐれている。
上部分は平野部で駅や大型スーパーや大病院やコンビニ、高校などがいつくもある。
下半分ほどは山間地で、コンビニはなく、たまに簡易郵便局があるが小学校のほとんどは廃校になった。
この下半分は2005年まで大塔村だった地域で、小泉改革の町村合併で廃止になった。
五條市の真ん中のえぐれ部分の右側は天川村が今も存在するが、どうせなら村より市になりたいと思ったのでしょう。
地理的には天川村もくっついて良かったのだが、天川、黒滝などは合併せず、奈良県の南側の多くは村のままです。
大塔村の今の地名は五條市大塔町何々となっていて、ほぼすべての集落が限界化しています。
五條市と合併したことで同じ市内の平野部に移住しやすくなり、一気に過疎化が進んだようです。
一方合併しなかった天川村や黒滝村も過疎化が進んでいるが、旧大塔村と比べると集落が維持されている場所が多い。
五條市の隣りの御所市、奈良県南部では田んぼがあるのはまだ市街地です
老野という谷間の村、ここもまだまだ田舎ではありません
猿谷貯水池の辺りから旧大塔村になります
上から降りてみます
数戸だけの小さな集落です
この辺は薪を燃料にしている家が多い
残念ながら写ってませんが、猿が道路を渡って降りていきました
市との合併後急速に過疎化
特に役場とか小学校周辺は昔風の大きな集落が残されていて、行政区の影響は大きいと感じます。
村がなくなると小学校も合併されてしまい、役場も合併されて郵便局も合併されてしまいます。
合計した雇用や生徒が100人程度だったとしても、100戸程度の集落では破壊的な作用をもたらします。
もっともそれが不幸かは別問題で、平野部に移住した若い人はきっと喜んでいるでしょう。
五條市は(奈良県としては)けっこう大きな街で何でもあり、周囲の町とも交通の便が良く就職先も多い。
木こりの日雇い労働しかなかった大塔村と大違いで、山から下りたら目のくらむような都会に見えたでしょう。
移住で問題になったのは家族がばらばらになる事で、若い人は就職先のある街でとりあえずアパートや公営住宅に入居します。
親世代や高齢者は集落に農地があったり、土地を離れたくないなどの理由で村に残ります。
そして10年ほど時間が経過し、旧大塔村集落のほとんどが消滅するか、数人の高齢者を残すのみになっています。
橋を渡ると大塔村最大の集落、です
数十戸の民家があるが、だいたい空き家です
奈良交通のバスが通っています
昔はここにも小学校がありました
大規模な土砂崩れで砂防ダムをつくっています
中心部にも大きな砂防ダムがあります
土砂崩れや洪水のおかげで公共工事が行われ、予算が降りて便利になったり、補助金で移住が促される面もある。
災害がまったくないと予算も降りず朽ち果てるままになります
上を立派なバイパス国道が走っています
つづく