京都笠置町の山間で昭和木造団地を発見
昭和レトロな木造団地が保存されていた
京都府の奈良県に近い南部に木津川が流れ、その山間部に近いあたりに笠置町があります。
この辺まで来ると木津川は川遊びできるほど澄んでいて、川沿いにはキャンプ場などもある。
笠置駅のあたりで木津川支流の打滝川沿いに府道4号線、笠置山添線を上って行くと、町はずれに木造団地が現れます。
打滝川を挟んで東に笠置山、西にも山があって細長い平地が住宅地になっています。
文章で書くとおしゃれな住宅地のようだが実際には山影で日当たりが悪く、どことなく陰気な印象を受ける。
打滝川の西側は広く一戸建ての住宅が多いのだが、川の東側は府道6号との間の僅かな空間しかない。
府道6号も山ギリギリに切り開いているので、かなり無理をしてそこに団地を造成したように見える。
その団地には団地名を示す看板や標識がなく、木造の建築様式からは昭和の中頃のように見えます。
昭和の白黒ドラマに出てくる団地そのままで、おそらく昭和40年代から50年頃ではないでしょうか。
木津川のほとりに笠置キャンプ場、その向こうに笠置駅があります
木津川にかかる笠置橋、川では釣りや川遊びをしていた
駅前のメインストリートはそれなりに賑わっています
街から出てすぐ、違和感のある空間に出くわします
同じような木造家屋が並んでいます
止まってるミラは90年台ので、ナンバーは付いてるけどパンクしてます
ここは人が住んでいそうですね
建物は昭和40年代で、屋根だけ張り替えてある感じです
昭和40年代で止まった空間
団地は山と笠置町の平野部の境にあって、平地からそんな場所に引っ越す人は居ないので、山から下りてきた人が住んだと分かります。
奈良県南部にはとんでもない山の中に突如として団地が現れたりするが、もっと山奥の村から集団移住した名残です。
昭和の前半は林業で生活する人が全国に何十万人も居たが、木材自由化などで価格暴落して資金源を断たれました。
国は対策として山奥から平地に住民の移住を進め、平野部に近い山中に新興住宅地のような団地を造りました。
山から下りてきたとはいってもまだ林業を続ける人も居て、元の集落に近い場所が好まれたからです。
だが山中の団地は1世代で廃れ、子供たちは都会に移住して働くようになり、高齢者だけが残されます。
こうして日本中の山間地には高齢者だけが住んでいる団地が点在する事になりました。
笠置町の名もない団地はほとんどが空き家のようだが、まだ2割くらいは人が住んでいる気配がします。
比較的新しい(昭和50年前後)鉄筋アパートもあり、自動車も何台か止まっていました。
団地の中だけ昭和40年代で時間が止まったような空間になっています。
奥に進むと稼働中の自動車も止まっていた
この建物には入居者がいるようです
このワゴンRはパンクしてません
長い煙突は汲み取りトイレの匂いを外に出すためです
昭和の白黒ドラマはたいていこんな家でした
奥の方でおばあさん2人の話し声がしていた
全体で数十戸はある
外に物が置いていないのは空き家でしょう
川の向こうは裕福そうな一戸建て、こっち側は古い団地に分かれています
団地には子供の乗り物や遊具が無かったので、一人も居ないようでした