京都の保津峡と水尾集落
清和天皇と水尾と清和天皇社
前回は京都の寺社を巡って紅葉を撮ろうと思ったのが、観光客が多かったりして断念しました。
第二プランとして山間部の保津峡から水尾のほうに行き 清和天皇社を回ろうと考えました。
清和天皇陵には以前行ったことがあり、近くの清和天皇社も気になっていました。
各地の天皇陵は明治以降に拝所や鳥居など装飾が追加されたが、要するにただの小山や斜面が殆どです。
天皇に関係ある遺物とかは無いのが普通で、往事を偲ばせる風景もない。
古い神社は数百年前や1500年以上前から存在する場合があり、当時のままでは無いにしてもイメージするのに良い。
京都・保津峡川下りの舟 pic.twitter.com/3nOLaW6bci
— ミトラ(mitra) (@goma_trader) 2019年11月21日
保津峡駅は吊り橋の向こうにある
吊り橋からの眺めが良い
今回は駅に上がらず水尾に向かいます
水尾集落ですがオレンジのような実が成っています
水尾は柚子(ゆず)の里でちょうどシーズンでした
柚子ありますと書いてある
清和天皇社の創建は不明だが清和天皇は881年没なので、その頃から存在した可能性もある。
清和天皇陵に行った時に思ったのは「よほど変わった人に違いない」というもので、他の天皇陵と大きく違っていました。
一般的な天皇陵は平地に在り巨大古墳か、平地に近い山の斜面にあるか、仏教寺院の中にある場合が多い。
清和天皇陵は本人の希望でわざわざ人里離れた山中の、そのまた山の上にあり誰も訪ねては来ないでしょう。
清和天皇は生後8か月で皇太子になり9歳で即位したが、幼い天皇の元で政治は混乱し、対立や裏切りが絶えなかった。
清和天皇は27歳で退位し、これまた9歳の息子に皇位を譲り、水尾で絶食などの厳しい苦行を行った。
30歳で仏門に入り畿内巡幸の後、水尾の地に安住しようとしたが31歳で崩御している。
従って水尾集落は清和天皇修行の地であり、清和天皇社がある場所で修行していた可能性が高い。
京都における皇太子や天皇時代によほど嫌な事があったのでしょう。
清和天皇社は細い道の先にある
古くてぼろそうです
石段は歩くと石がぐらぐらして外れそう
清和天皇の時代は石段すら無かったでしょう
六つ地蔵があります
結構凝ったつくりになっている
去年の台風でかなりの木が倒れたようです
鳥居の外は光が当たってきれいです