大塔町の天誅組本陣跡を訪問
今回は奈良県五條市大塔町阪本の天誅組天辻本陣遺址に行ってきました。
天誅組関連の場所は奈良県に多く、このブログでも何度か行っています。
ざっと説明すると天誅組は文久3年(1863年)、孝明天皇の攘夷親征の詔勅に呼応して決起した討幕運動で結成時は38人でした。
8月13日に孝明天皇の詔勅が出て8月14日に天誅組が決起したが、8月18日には幕府側が盛り返して京都御所を奪い返した。
この時御所の警備に出動したのが新選組で、およそ10年間幕府側として京を守る役目に就いた。
天誅組は結成からわずか5日で朝敵として幕府から追われる身となり、後は奈良県を転々とした。
天辻本陣は決起から間もないころで、天辻を拠点として十津川郷士960人を加え、一時は1000人を超える兵力だった。
天誅組が戦いに勝ったのは蜂起直後に代官所を襲った一度だけで、後はすべて負けた。
実戦経験のない若者の集団は逃げ回って敗戦を繰り返し、9月19日には解散している。
中心メンバーの7人は解散後も逃走を続け、主将の中山忠光は長州に逃げて維新後に貴族になっている。
募集に応じた十津川藩士数百人は幕府に討ち取られたり捕縛されて散々な目に遭った。
明治維新で尊王攘夷派が勝ったことで天誅組は神様のように祭り上げられ、各地に立派な墓や石碑が建てられた。
西吉野町老野、運搬モノレールの線路がある
林道に上ります
雨の後で道が悪い
木の伐採中でバイクが通る隙間もない
やむなく引き返し
「ちゃんとした道」から行くことにします
ちゃんとした道なのですぐに着きました
これが天誅組本陣跡です
最近まで小学校だったようです
通学路だった筈の道を降りてみます
廃屋が並ぶだけの廃村でした
人が住む気配はまったくない
これでは廃校になるのも無理はない
小学校には先生を含めて100人近くが通っていたようです