木津川の上流で潜没橋や高山ダムを見る

木津川に二つの沈下橋がある
5月のGWが終わってから、京都府木津川周辺を回ってきました。
だいたい奈良→大阪→京都のローテーションで行先を決めているが、どうしても奈良県南部が多くなる。
京都市の観光地にはたまに行けばいいので、なるべく田舎を求めて過疎地を回ります。
大阪からだと京都市が渋滞するので、その先には時間が短いと行きにくい。
京都府の西側には山間地が広がっているが、やはり途中が混雑した市街を通ります。
木津川方面は比較的道が空いていて市街地も通らないので、大阪から行きやすい田舎と言えます。
木津川市を抜けて木津川を上ると、笠置町の辺りで大自然という風景になり、隣の南山城村は京都府唯一の村となっています。
笠置町から南山城村にかけての木津川はあまり護岸工事されておらず、自然のままの流れが残されている。
笠置町にひとつ沈下橋があり、南山城村にもひとつ恋路橋(大河原橋)という沈下橋がある。
高知県四万十川のが有名ですが、笠置町のは潜没橋という名前で、恋路橋より少し短い。
どちらも普通に乗用車などが渡ってくるので、そのたびに撮影を中断して戻る(人と車がすれ違う幅は無い)
恋路橋は最初「大河原橋」という名前で昭和20年に炭鉱から石炭を輸送するために、突貫工事で行われた。
笠置駅に近い笠置キャンプ場の辺り、つまり駅前

向こう岸が笠置キャンプ場で、地図によると右奥の森付近が駅の筈なんです

森の手前に駅の連絡橋らしいのが見えます

笠置町の潜没橋

最初これが恋路橋だと思っていました

高さは2mもないので、水量が増すと水没します

けっこう車が通るので、そのたびに避難します

南山城村の恋路橋、さっきのと同じに見えますが長いです

直前に同じような物を見たため、感動が薄れてしまった

柳生一族の里に行く予定が高山ダムに着く
材料は村内の採石場で取れる柳生花崗岩という石材で、高さを上げられないので沈下橋構造になったようです。
橋を渡った集落に恋志谷神社があり、戦後改名するのにアンケートを取り、恋路橋に決まったと書かれている。
御醍醐天皇を慕う女官がこの地で自害し「恋しや、恋しや」と言い残したのが由来と伝わっています。
笠置町潜没橋のほうは由来も何も分からないのだが、構造が同じなので恋路橋と同時期に掛けたのかも知れません。
恋志谷神社を過ぎて府道82号を進むと木津川は名張川と名前を変え、割とすぐ高山ダムが現れます。
実はここで道を間違えていて、柳生一族の里があった柳生町に行く予定だったのに、通り過ぎていました。
行けども行けども柳生らしき場所は無く、まあこれも良いかと思いながら名張川を南下します。
名張川沿いはほとんど平地のない山岳で、村どころか集落も民家も廃屋すら懐かしいと思うような僻地でした。
ほとんどがブラインドカーブで先が見えないので、あまり飛ばすこともできずもっさりとバイクを走らせます。
笠置町から南山城村は自然に囲まれた面白い場所だったので、また行ってみたいと思います。
恋路橋は潜没橋よりしっかりした作りです

恋志谷神社は御醍醐天皇を慕う女官がここで自害したそうです

灯篭に彫ってある鹿がキュートでした

子宝や安産、良縁に恵まれるそうです

樹齢数百年の大木がありました

神社の周辺集落の小道

柳生の里に行くには来た道を戻るのだが、そのまま大河原取水堰に来ています

さらに高山ダムの下まで来て

ダムを上を通ったりしています

つづく