十津川村立 歴史民俗資料館を見る
十津川村の歴史資料館に行ってみる
十津川村の役場隣に道の駅 十津川郷があり、多くのライダーはここを目的地に来ます。
ここは2階の蕎麦が美味しいらしいですが、国道168号線を挟んで反対側の歴史民俗資料館に立ち寄ります。
その地域を知るには無差別に歩き回るより、資料館に行った方が歴史的経緯が良く分かる。
十津川村には平地が無いので資料館は小高い丘の上にあり、館自体も2階建てでそれほど大きくありません。
入館しすると目を引くのは洪水関連の展示で、明治22年の大水害で全滅したらしい。
現在の十津川は川幅が広く道路や建物は山の上にあるが、当時は現在の河川敷の中に家が建っていたようです。
1000か所以上が山崩れがあり168人がなくなり、426戸(全住宅の2割)が全壊、村ごと北海道への移住を決意した。
村民12862人のうち2667人が北海道に移住して現在の「新十津川町」を作った。
十津川村は古代から孤立した地域だったため、租税免除され一種の治外法権地域だった。
このため独立の気風が強く、修行者の修行者や大和から追われた人が逃れてきたりした。
幕末には700人以上の若者が尊王攘夷を唱える天誅組に参加したが、時期を得ず惨敗している。
明治以前の民具や幕末の日本刀など、小さいが見どころのある資料館でした。
平地がないので資料館も丘の上
山中では今も修行者を見かけるという
明治22年の水害以前の平穏な生活
水害で村はほとんど壊滅してしまう
生き残った2割が北海道に移住した
幕末の天誅組は幕府に敗れた
このスタイルで京都御所を警備した
天誅組の十津川郷士
龍がのたうつように川が流れ平野は存在しない