十津川道の駅から武蔵小学校へ向かう
国宝級の昭和40年代男子トイレ
文化遺産レベルの小学校
十津川歴史資料館と護国神社を後にして、今日のメインである十津川村教育資料館に向かいました。
名前からはパッとしませんが廃校した武蔵小学校の木造校舎が保存されていて、月2回だけ公開されています。
公開されるのは4月1日から11月30日までの第2・第4日曜日のみ、しかもバスは週2本しか通っていないという秘境ぶりです。
前日に十津川村に行くのを決め、サイトで観光地情報を見たらたまたま翌日が公開日でした。
行き当たりバッタリに行ってもまず公開日には巡り合わないので、大ラッキーでした。
武蔵小学校の隣りには佐久間信盛の墓、楠木正勝の墓もあるという充実ぶりです。
この2人の墓は「そのような言い伝えがある」という事で考古学的に確認されたものではないようです。
武蔵小学校は昭和45年(1970年)に廃校になったが、内部は最後の卒業生が出て行った時のままになっています。
体育館は閉鎖されているが教室や校長室、展示室(もう一つの教室?)、トイレなどを見れる。
個人的に興味を惹かれたのはトイレで、昭和40年代以前の学校の便所など、他ではまず見ることができないでしょう。
展示品は当時の学校の物が主体で、授業に使われた教材などほとんどが残されている。
また村で購入したのか、昭和期のビデオカメラや古いワープロ、レコード再生機や蓄音機までありました。
これほど良好な保存状態の昭和40年代の小学校は、日本中探しても珍しいでしょう。
バス停の向こうに見えるのがトイレの建物です
昔は諸事情で校舎とトイレが別の建物でした
バスは月曜のみ運行で祝日は休みだそうです
男子トイレです。このころ1個づつの小便器はなかったんですね
女子トイレ、ドアを開けてみれば良かった
校舎の奥のグラウンドから撮影
三角屋根のは体育館。丸いアーチになる前のタイプ
窓はサッシじゃなくガラスなので何枚か割れている
これは真ん中に竹の棒をしばって国旗掲揚するポール立て
ここからスリッパを履いて上がります
記帳ノート、何か書けば良かった
校歌が最後に歌われたのは48年前
つづく