吉野町国栖の大蔵神社は最強の秘境神社か
未舗装の林道を歩いて辿り着く神社
奈良県吉野町南国栖の山中に大蔵神社があるが一般には知られておらず自分も行くまで知らなかった。
この日は吉野川沿いの東川(うのかわ)という高地集落に行き、地図を見ると上のほうに神社があるので寄ってみようと思っただけでした。
高地集落は斜面にあって樹木が生えているので、全体を見渡せず「絵にならない」ことが多い。
神社はたいてい地域でもっとも見晴らしが良い場所にあり、集落を見渡すようになっている事が多い。
そこで東川も一番上にある神社からの景色が一番良いはずだと検討をつけたが、とんでもない間違いでした。
グーグルマップでは集落の上に見えたが実際は森の中にあり、しかも山の反対側からでないと辿り着けない。
神社を示す標識などは一切なく、かろうじて歩行者だけが見そうな小さな看板が参道入り口に在った。
参道は林道そのままで大部分が未舗装、しかも四駆の軽トラがかろうじて走破できるような難所もあった。
お金が無いにしてももう少し車で走りやすくできるので、部外者が侵入しないよう意図的にこうしているのかなと思いました。
この参道の林道途中には道案内が一切ないので、知らない人は絶対に神社まで入ってこないようになっています。
左の小さいのが神社を示す唯一の目印、しかも枝に隠れている
舗装は入り口だけですぐダートになります
この辺はまだ”走りやすい”場所です
道はどんどん悪くなり道案内が一切ないので、神社の存在を知らない人は入って来ません
とてもこの道と思えないのでuターン場所を探します
光に包まれた神々、じゃなく外人さん達が現れました
これは営林作業の車で、車では来ない方が無難でしょう
実際は普門山 清谷寺の方から林道を歩かないと辿り着けない
衣笠山の神を祭る祭場が起源?
神社は完全な森の中にあり、なぜか4人組の西洋人男女が道案内もなしに来ていました。
帰りも彼らは林道を歩いていたので、外国のサイトに紹介されているのかも知れない。
古い神社の多くがそうであるように大蔵神社の創建は不明、905年に編纂が始まった延喜式に書かれている川上鹿塩神社だとする説があるが分からない。
神社の起源はそれぞれの地域の神を祭る場所だったと思われ、西暦700年頃から神道としてまとめられていったようです。
神道成立以前から存在した祭場には明確な起源がないので、人の居住が始まった時からそうした場所はあったと推測できます。
自分はバイクだったが徒歩だと最も近い民家から片道20分以上はかかるでしょう。
即ち大蔵神社は村人が日常的に参拝するには遠すぎ、玉置山の玉置神社や三輪山の大神神社と同じく山そのものを崇拝していたと伺えます。
大神神社の由来を見ると古代には山を信仰していたが、もっと簡単に参拝できるよう平地に神社を作った。
山が先であり神社は後と考えると、こんな誰も来ない山中に神社がある謎が解けてきます。
大蔵神社は衣笠山という442mの山中にあり、あの変な参道は衣笠山を通ってきます。
もっと近いルートも作れるはずなのに、あえて遠回りして衣笠山を歩いかないと辿り着けません。
衣笠山の神を祭る祭場が起源だったのではないかと想像します。
石垣や建物は古い上に高湿度で苔だらけなので、古い木の匂いがツーンとする
大木に覆われているので昼間でも陽は当たりません
反対側
軽トラの人たちは伸びすぎた木を伐採しているようでした
歩道が色々な方向に伸びている
伸びている先には小さな祠が点在している
これは井戸になっているようで、人が落ちないようにこうしてあるようです
チェーンソーを持つ木こり(?)の人が写っています
豪快な音を出して切りまくっていました