弥生時代の環濠集落を見に行く
保津環濠集落
環濠集落は弥生人の村
今回は奈良県の保津環濠集落と、池尻環濠集落を2月に見に行きました。
環濠集落ってなんやねん?という話ですが、渡来人が農耕を始めた時に作った集落であり防御施設です。
渡来人が直接つくったのは北九州など一部で、その他は日本に定住した弥生人が作ったようです。
縄文時代は狩猟採集だったので、一定のテリトリーがあれば「土地」にはあまり価値がありませんでした。
ところが農耕が始まると土地が価値あるものになり、周辺のグループと抗争が勃発します。
兵士や軍隊ができ、戦争がはじまり、敵から防御するために村の周囲を堀や竹やりで囲んだと思われます。
最初に行ったのは竹之内環濠集落だが
短い用水路以外はなにもなかった
弥生時代初期というと2000年以上も前であり、現存している環濠集落はほとんどありません。
奈良県北部の保津環濠集落と、池尻環濠集落では江戸時代の「区割り」が残っています。
外堀からは弥生時代の遺物も出ているようなので、2000年前の集落が奇跡的に残っていると考えられる。
住んでいる人が当時の人の子孫なのかは、分からない。
保津環濠集落
これが弥生人の村だ
ただのドブ?断じて違う
コンクリートで固められ、ドブ臭い臭いがする
周辺は田んぼが広がっている
臭くて嫌になってきた
集落の中の道は細い
神社のような宗教施設も2000年前から存在したらしい
池尻環濠集落
ここのはより一層ドブ臭い
真冬なのに集落全体に嫌な臭いがする
公園兼神社がある
観光地として整備しようとしている
遊歩道は歩きやすい
住宅の中を通り、流れがないので水は汚れている
やはり周囲は田んぼ
村の中は古い建物が残る
石には宗教的な意味があるようだ
神社の脇にあった地蔵
実は環濠集落が作られたのは弥生時代前半までで西日本だけだったとされている。
今回行ってみて想像できた理由は、環濠集落の中が不潔になりやすい。
弥生時代から環濠は相当汚れていたらしく、堀の底から排せつ物の層などが発見されている。
冬でさえ臭いので夏は物凄いはずであり、水を入れるより、空堀にして保存した方が良いような気がした。