古代の公害問題、飛鳥も平城京も不潔だった
飛鳥時代のトイレは川に流すか土に埋めるかで、狭い範囲で数千人がこうしていたので非常に不潔だった
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ab/3d01333c3b38c19ebc742ac6e65b4192.jpgより引用
古代人は不潔だった
今回は古代の公害問題についてです。
縄文時代とか弥生時代とか古墳時代には公害なんてなくて、美しい理想郷だったとか思うかも知れませんが違います。
去年奈良の環濠集落を見に行きましたが、2000年以上前の弥生集落の「区割り」が残っていました。
集落の周りを堀で囲み、堀を掘った土で土塁を作り、おそらく「竹やり」とかを立てて防御していたようです。
縦横100mほどの面積に数百人が住んでいたと推測され、人口密度は当時としては非常に高かった。
なにしろ縄文時代の関西は1キロ四方あたり0.1人しか人が住んでいなかったので、人口密度が数万倍にもなったのです。
環濠集落の堀の底からは、排泄物や細菌の痕跡が見つかっていて、衛生状態は最悪だったようです。
つまりトイレはそこら辺で済ませて、周囲の堀に捨てていたので、病気が蔓延していたのですね。
渡来人の集落だった環濠集落が、関東や東北では廃れたのは、おそらくこうした不潔さを嫌ったからでしょう。
縄文人は人口密度が非常に低かったので、(ひとつの村は最大数十人)村の真ん中に穴を掘って何でも埋めていれば大丈夫でした。
環濠集落跡は水流が止まっているので、現在ですら臭い
飛鳥宮や平城京も公害で廃棄された
弥生時代が終わって奈良の橿原市や明日香村あたりに都が作られ、飛鳥時代になりますが、弥生時代同様「う●こ垂れ流し」は続いていました。
下水道も浄水場もないので、そこらへんに穴を掘って埋めるしかなかったわけです。
畑にまいて肥料にする完全リサイクルが完成したのは江戸時代で、飛鳥時代は川に流したりしていました(トイレを”かわや”という語源とされる)
やがて飛鳥も汚れてきたので北部に平城京を作って引っ越すのですが、このころ持ち上がったのが「金属汚染」問題でした。
奈良の大仏とか寺とか神社の多くが金メッキされていたり、金属が多用されていますが、当時は手作業でした。
健康に悪いという認識もなく川や池やそこらへんに汚水を捨てていたので、平城京は汚染都市になり公害病が蔓延しました。
これが「悪霊の祟り」とされて祈祷師や陰陽師の商売繁盛するのですが、結局平城京を放棄するしかありませんでした。
平城京があった奈良市には大きな河川がなく、「水に流す」という処理方法が使えないのも原因でした。
京都のほうが水流に恵まれていたので、川に流すことで衛生管理をしやすかったようです。
このように古代都市はゴミや排泄物や汚水処理ができておらず、酷い状態だったというのは、みっともないので教科書には書かれていません。