日本最大の渡来人集落、鶴橋
猪飼野は渡来人が猪を飼っていた土地
百済滅亡で難民が集まった
いわゆる「部落」が多い地域と、古代に渡来人集落があった地域が重なっているのは以前書きました。
というより渡来人集落=現代の部落と言ってもいいほどで、渡来人集落がない地域には部落もない。
日本最大の「部落」は大阪市の鶴橋周辺で、承徳二年(1098年)に書かれた地図にははっきりと渡来人の地名が書かれている。
当時の大阪市は大阪湾の島々に分かれていて、ひとつひとつの島には「百済洲」「新羅洲」という名前がつけられていた。
現在の鶴橋あたりには「百済郡」という地名がつけられ「百済川」まで流れていました。
660年に日本の同盟国百済が滅亡し、天智2年(663年)に白村江の戦いで日本軍が破れ、この時多くの百済人が難民として九州や大阪に渡来したといわれています。
1098年の地図では鶴橋は「百済郡」で、四天王寺や天王寺が描かれている
西暦300年代に百済川にかかっていたつるの橋の碑
難民だけでなく交易でやってきた商人や労働者も大阪にあつまり、大阪は渡来人で大変賑わっていたと記録されています。
鶴橋の百済郡を収めていたのは、日本に亡命してきた百済の王子で、渡来人とともに帰化して百済王氏となった。
大量の難民や百済王子、渡来系商人らがこの地にあつまり、戦後は朝鮮戦争で済州島から渡来した人も加わって現在にいたる。
1000年ほど前には大阪に天皇の宮殿があり、渡来人の視察に天皇が訪れたと記録されていて、渡来人が重視されたのがわかる。
日本最初の橋である「つるの橋」が建造され、ここから鶴橋が地名になった。
御幸森天神宮は仁徳天皇(西暦300年代)ゆかりの場所
西暦300年頃すでにここは渡来人居住地だったと分かる
住人の過半数は半島出身、古代の渡来人を含めると大半が半島系と言われている
神社の横にはコリアタウンが広がる
せっかくだから一つ買ってみる
甘辛いタレのチキンで美味しい
近くの公園では昼間から人々がブラブラしている
彌榮神社も日本書紀の時代から存在する
老人と少年が何かつくっている
社殿の中では奥様達のエクササイズ教室を大音量でやっていた
縁結びの白玉大明神が人気らしい
神社を出て商店街に入る
韓国系商店キムチランド
大阪のキリスト教会は半島由来
おばさん達は日本語より韓国語が得意だったりする
豊臣以前はここは海岸沿いで、今も鮮魚類が多い
韓国料理店が多く、どこも繁盛している