部落と渡来人の不思議な関係
東京周辺を除くと、部落のほとんどは西日本にあった
https://同和地区.com/images/thumb/d/dc/Burakumap.gif/400px-Burakumap.gifより引用
「部落」と渡来人集落
西日本には「部落」というものがあり部落問題、同和問題とも言うが、かなり大きな問題とされています。
ところが東日本には部落は首都圏周辺に少し存在するだけで、問題そのものが存在しません。
このため関東の人は「部落問題はでっちあげだ」と言い、関西の人は「いや部落は存在する」と話がかみ合いません。
こうなる原因は地図を見ると一目瞭然で、部落は関西より西にしか無いからです。
どうして西日本にしか部落がないのかは、徳川幕府ら東日本が戦勝国となり、豊臣方の西日本が敗戦国になったからだとも言われています。
例えば坂本龍馬は土佐藩の郷士だったが、関が原以前には支配層だったのに、戦勝国の人間が乗り込んできて新たな支配層になった。
渡来人集落が存在した場所と部落が多い場所は一致している
http://yasugawa-iseki.yayoiken.jp/images/kangou-bunpu.gifgより引用
その結果郷士になった龍馬らの一族は、上士が通ると雨の日でも土下座しなくてはならず、もし土下座しないと叩き斬られた。
新たな支配者として乗り込んできた東日本の人間が、西日本の旧支配層を貶めるために、多くの部落を作ったと考えられる。
だがこの説では関が原以前の西日本には「部落」が存在しなかった事になり、これだけでは説明できない。
最近弥生人や渡来人の遺跡をいくつか見に行ったのだが、その時偶然気づいたのは「渡来人集落と部落があった場所が一致している」ことでした。
完全一致ではないが、渡来人の遺跡が多く存在する地域には、部落とされる村が多く存在している。
渡来人が日本に来たのは3千年前から2千年も前であり、関が原より1500年も古い。
証拠とかはないが、2000年以上も前から連綿として「よそ者」を遠ざけていたのかも知れない。