明治天皇陵と桓武天皇陵 京都市伏見
明治天皇陵はとにかく広い
天皇陵を巡る7回目(8、9か所目)
全ての天皇陵を制覇するシリーズですが、108か所もあるので1か所ずつでは何年も掛かるのが分かり、一度に2か所紹介する事にします。
今回は京都に行ったので、都合よく同じ場所にある、明治天皇陵と桓武天皇陵です。
同じ場所というのは地図上でそんな風に見えたからですが、実際には離れていました。
バイクを止めるには寂れた公園脇が良い。
(写ってるのは自分のではない)
薩長と幕軍が戦った御香宮神社。
歴史愛好家グループのおじさん達が集まっていた
明治天皇陵は豊臣秀吉が築いた伏見城跡地にあり、桓武天皇陵も同じ場所にある、かのように見えました。
大阪南部から京都市伏見区までは一般道を通って約50km、時間にして1時間半から休憩を入れて2時間弱というところです。
時間も距離も大したことはないのだが、大阪市中心部の最も交通の激しい所からスタートし、道中ずっと交通量が多い。
屋台が並んでいるが、9時ごろなので開いていない。
子供相撲が始まるようだが見ずに出る
しかも流れが速いうえに大型トラックが多いので、バイクで走るには快適とは言えない。
早朝に出発して9時前には市内に入り、戊辰戦争で薩長と幕軍が戦った御香宮神社を、見て回りました。
秋祭りがあるらしく屋台が並んでいたが、時間が早いのか明日からなのか1軒も開いていなかった。
駐輪場を探して伏見城周辺を走っていると、唐突に桓武天皇陵と書かれていた
ダラダラした坂道を上る
子供相撲大会が始まるまえに後にし、目的の伏見城跡へと向かった。
無料駐車場が女子プロ野球の為に有料になり500円必要と言われて憤慨し、適当な場所に路上駐輪を決め込む。
歩いて数分で桓武天皇陵は有り、今日は楽勝だなと思いながら散歩気分でダラダラ坂を上ります。
数分歩くと「桓武天皇陵」「明治天皇陵徒歩15分」と書かれた棒がある。
ところが行けども行けども明治天皇陵はなく、案内板がないので道を間違え、20分もかかりました。(ずっと上り坂)
明治天皇陵の印象は「やたら広い」で、今まで見てきた10か所ほどの天皇陵とは異質な空間でした。
今までの前方後円墳は1,000年以上の歳月で、地球誕生からそうだったかのように周囲に溶け込んでいました。
見慣れた高札、ここがまさに桓武天皇陵
山の上にある丘陵は最初から自然の山そのものであり、「木が密生するただの山」でした。
明治天皇陵は天皇陵の為に開かれた土地で、新しいので人工的な気配がしました。
桓武天皇陵は公園のような一角にあり、あまり重要な人物ではなさそうな印象を受けた。
周囲を回る事はできないが、森に囲まれ良い雰囲気
今日は楽だな、とこの時は思った
帰って調べてみると、桓武天皇の母は百済系渡来人の子孫で、平城京から長岡京、さらに平安京への遷都を行った。
国内の政争から混乱した時代だったらしく、百姓が困窮しているなどの記述がみられる。
生前没後ともに、桓武天皇の評判は高くなかったと言える。
桓武天皇陵からずーっと上り坂を歩く
いい加減な案内板に何度か騙されて、管理施設らしい建物に出るが、ここから天皇陵までまた歩く
道中ずっと小石が敷いてある道で、カマボコ型の上に凸凹なので、このうえなく歩きにくい。
ついに参拝所らしい空間に出る
とにかく無駄に広い、奥行きもある
反対側は展望が良い、老人のハイキングコースになっている。
遠くに小さく写っているのが本当の陵墓で、とてつもない広さなのが分かる
参拝する人たち
ここまで来たからちょっと入りたかったが、やはり入れない
喉カラカラ汗ダラダラで同じ道を帰っていく