ミトラのブログ 秘境と異世界

田舎の写真、異世界、マネー、雑学

右京区の天皇陵(後編) 宇多天皇陵

f:id:nonoty32a:20180422155241j:plain

 

山の上の天皇陵

村上天皇陵ではちょっとしたハイキング気分で階段を上り、地図を見て近くの宇多天皇陵に行くことにしました。

グーグルマップでは道路は山道であり、途中からかなり細い道(白線表示)ですが階段ではないようです。

バイクさえ入れる道なら、急阪でも林道でもなんら問題はないと思いました。


地図に従って金閣寺へと続く道から山の方に折れ、曲がりくねった狭い峠を進みます。

それらしき道は車両進入禁止とは書かれていないものの、どう見ても登山道でバイクは登れそうにない。

「通行止め」ではないが明らかに人間専用道路の場合、もしかしたら通れるのかも知れないが、歩く事にしている。

 

村上天皇陵から宇多天皇陵に向かう

f:id:nonoty32a:20180422155439j:plain

これが道か

f:id:nonoty32a:20180422155547j:plain


でこぼこの登山道を20分くらい歩いたころ宇多天皇陵の拝所があり、途中は花が咲いていたりして楽しめました。

天皇陵は平地にあるか平地に面した低い山の上にある場合が多く、このように山に分け入った場所にあるのは珍しい。

宇多天皇は第59代天皇で867年即位、光考天皇の第七皇子で天皇になれる順位ではなかったが、政争に勝って即位した。


宇多天皇を押したのは藤原一族の藤原基経で、天皇の指名権すら握っていたのが分かる。

宇多天皇が若いころは皇位継承から外すために、源氏を名乗り源定省と呼ばれていた。

この頃から天皇の権威失墜が始まり、貴族の専横を経て源平合戦、武士の時代への流れが始まっていました。

 

通ってきた峠道を見下ろす

f:id:nonoty32a:20180422155639j:plain


宇多天皇は源氏や藤原氏、菅原道真など身分に関わらず登用したので、有能な家臣が多く集まった。

宇多天皇は火葬され墓もつくらず土をかぶせたため、現在所在は分からなくなっている。

政争に明け暮れたので、自分の葬儀がまた政争の具にされるのを嫌ったのかも知れない。

 

宇多天皇 大内山陵の場所

 最近水が流れた跡があるワイルドな道

f:id:nonoty32a:20180422155803j:plain

花が咲いていて癒される

f:id:nonoty32a:20180422155902j:plain

龍安寺と書かれた地蔵などがある

f:id:nonoty32a:20180422160016j:plain

この先にありそうな気配

f:id:nonoty32a:20180422160050j:plain

間違いなくここです

f:id:nonoty32a:20180422160124j:plain

少し降りて拝所がある

f:id:nonoty32a:20180422160201j:plain

道中はワイルドだったが拝所は普通だった

f:id:nonoty32a:20180422160231j:plain

花を見ながら来た道を戻る

f:id:nonoty32a:20180422160531j:plain

次は龍安寺という寺の奥に天皇陵があります

f:id:nonoty32a:20180422160906j:plain

チケットを買わないと寺に入れないのだが

f:id:nonoty32a:20180422161045j:plain

何十人も外国人観光客が並んでいたので断念しました

f:id:nonoty32a:20180422161157j:plain

桜が咲いている川の横を通り

f:id:nonoty32a:20180422161337j:plain

いつものマックで休憩して帰りました

f:id:nonoty32a:20180422161411j:plain

おしまい