平城天皇陵を訪問(奈良市)
対立の原因は不倫だった
前回は仁徳天皇皇后陵の後にコナベ・ウワナベの前方後円墳を回りました。
2百メートルほど離れた場所に平城天皇陵もあり、近くには平城京もあります。
池や小山が多いので山をぐるっと迂回して、農地を抜けて平城京のほうから平城天皇陵に向かいました。
平城天皇即位は806年で、すでに794年に京の平安京に遷都し、平城京は放棄されていました、
平城天皇は父桓武天皇や周囲の人物と折り合いが悪く、政争や対立が絶えなかった。
病気のためという名目で在位僅か3年で弟の嵯峨天皇に譲位し、自身は平城京に移り住んでしまう。
平城天皇陵は住宅地の中にある
反対側に平城京が見える
上皇となった平城天皇は810年、嵯峨天皇に反旗を翻して出兵するが、失敗して仏門に入った。
平安京に遷都したのは父の桓武天皇だったが親子仲が悪く、上皇になって平城京に再び遷都しようとした。
平城天皇は正式な妻がありながら女官の藤原薬子を寵愛し、桓武天皇を激怒させたのが対立の始まりとされる。
藤原薬子の一族を優遇し、挙兵し嵯峨天皇に反抗したのも、藤原一族の入れ知恵と言われている。
木目が出ていて良い看板だ
直線で山上りしなくて良い
周囲を見て歩く
大阪のような「スラム」ではない
小さな農地を老人が手入れしていた
こうした細い道が続いている
1200年前はこの辺りが平城京の庭園だったようです
平城京を後にして竹林を通り奈良公園に向かう
鹿と観光客を見て、大阪に帰る
おしまい