京都 後二条天皇陵、後一条天皇陵
形骸化していく天皇
京都大原の三千院隣にある天皇陵に行ったので、帰り道の後二条天皇陵、後一条天皇陵による事にしました。
京都の天皇は一条二条三条四条、さらに後一条から後三条天皇陵、さらに〇〇天皇の他に「後〇〇天皇」が何人かいます。
一人一人の名前がなく、番号と「後〇〇」で済ませる適当感、天皇陵も寺院の空き地にある場合が多い。
奈良の天皇陵に比べると、権力が武家にうつり、天皇の権威が低下したのは明らかなようです。
さらに後期になると寺の敷地内に間借りするようになり、何人もの天皇がまとめて祭られています。
京都の1000年を通して天皇の権威低下は続き、明治維新後は突如として巨大さを誇示するようになりました。
京都の天皇陵は道端にあり、敷地も狭い場合が多い
天皇と皇子が祭られている
京都には明治天皇陵が在りますが、その前の孝明天皇にくらべると、巨大さが目立ちます。
陵墓の外側に辿り着くまでかなり歩き、入り口から拝所までまた延々と歩き、拝所はサッカー場や野球場が作れるほど広い。
鳥居は巨大で奥の方には陵墓があり、山全体が天皇陵になっています。
孝明天皇陵が泉涌寺にまとめてある集合住宅スタイルなのに対して、国家神道時代には偉大ささ巨大さが強調されました。
後一条天皇陵は平安時代、後二条天皇陵は鎌倉時代ですが、陵墓からは既に天皇の権力の形骸化が見られます。
実際の政治は藤原氏のような貴族や北条氏のような武士が握り、天皇が直接政治を行うことはほとんど無かった。
後二条天皇陵
周囲はマンションやビル
この奥が皇子の墓
後一条天皇陵はもっと狭い、道路の左側に見える
狭すぎて全体を撮れない
裏側の神社のほうが何倍も広い