ミトラのブログ 秘境と異世界

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京都の仲恭天皇陵などを訪問

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仲恭天皇陵と防長慰霊碑

前回は花園天皇陵の閉門日に阻まれ、納得できなかったので数日後に京都を再訪しました。

効率よく天皇陵を回るために最初は伏見区の仲恭天皇・九條陵に行きました。

例によって入り口が分かりにくく、天皇陵を示すものはなく、代わりに維新戦役の碑という道標がありました。


京都の人にとっては維新戦役のほうが天皇陵より重要なのでしょう。

坂を上がって行くと崇徳天皇皇后陵があり、「女性皇族の墓は見晴らしが良い場所」の法則に合致します。

勝手に作った法則ですが、実際女性の陵墓は景色が良い丘の上か、小ぶりだが美観を重視したものが多い。

 

仲恭天皇陵の入り口

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維新戦役の道標、よく見ると後ろの石にも消えかけた文字がある

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坂を上りきると仲恭天皇・九條陵があり、岡の上にある他は拝所など変わったところはない。

仲恭天皇陵の隣りに例の維新戦役の碑があり、数十人の墓標が立てられなくなった日付が彫られている。

説明書きを読むとこの場所で討ち取られたのではなく、維新後にこの場所に祭られたようです。


維新戦役防長藩士殉難者の墓というらしく、名前から鳥羽伏見の戦いの長州藩士の戦没者の慰霊碑です。

こうしたものは京都各地にあるのだが、慰霊されるのは戦勝国の薩長だけで、もっと犠牲者が多かった敗戦側のは見かけません。

敗戦側の出身地のせいか、こうした片手落ちの慰霊には疑問も感じます。

 

上は石畳で緑に囲まれている

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途中に崇徳天皇皇后陵がある

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もう少し歩いて森の中に入る

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仲恭天皇陵です

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周りを歩けるようです

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仲恭天皇陵の下の方には墓のような石が並んでいます

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ここが入り口にあった防長藩士の墓地でした

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表側には名前

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裏側にはなくなった日付と場所が書かれています

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来た坂を下りると

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崇徳天皇皇后陵は見晴らしのいい場所に造られたのが分かります

900年を経て設計者の意図が伝わるのは面白いです。

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つづく