日本最古の道 竹内街道を走る
この辺りを聖徳太子や小野妹子が歩いた
日本最初の国道
日本で最初に作られた国道は国道1号線で1952年指定だが、その1000年以上前に作られたのが奈良と大阪を結ぶ竹内街道でした。
日本書紀には推古天皇21年(613年)に整備したと書かれているが、起源400年代から交通路として使用されていた。
飛鳥時代の日本の首都だった飛鳥地方と、交易の中心だった難波(大阪)の堺港を結び交易品を運ぶ道だった。
日本列島の各地や半島、大陸からも使者や交易品が届けられ、街道沿いはいち早く発展した。
平城京が710年、その前の藤原京は694年、聖徳太子が生まれたのが574年だから、聖徳太子39歳の時に完成した。
以降街道沿いには短期間で100以上の神社や寺、王子(天皇の参拝所)が整備され、半島や大陸文化はすべてこの道で運ばれた。
全日本がっかり大賞
そんな竹内街道が現在も、当時とほぼ同じルートで残っているのは知っていて、大阪府が観光地として宣伝していた。
堺港から太子町の市街地部分は、完膚なきまでに破壊しつくされたのは見ていたので、太子町から山を越えて奈良県の平野までをバイクで走ってみた。
太子町は聖徳太子生誕の地で、記念館などがあるが、残念ながら景観があまり美しくない。
全国どこにでもある中途半端に破壊された農村で、聖徳太子が生きていた当時を想像する事はできない。
さすがに1300年前の風景が残っているとは思わなかったが、それでも山間部には見るべき「何か」があるのではないかと想像していた。
26キロの竹内街道の大半は「ただの道路」で、観光客を騙すための施設がところどころに存在するのみだった。
これはこれで歴史の今であり、ドキュメントなのでそのまま写真を掲載してみる。
古い建物もあるがどう見ても昭和以降
ただの道路です
流れてる川がドブ臭い
コンビニもあり生活至便
途中で寺なんかもある
聖徳太子の温泉
山里っぽくなって期待が膨らむ
唐突に広い道路になった
ただのダンプ道路です(気温31度)
奈良県に入るが周囲はこの通り
旧街道らしいが入れないし止める場所も無い
ダンプ道は終わり平野に出る
奈良県のカラス
歴史的な遺産もここまで完璧に破壊しつくす事ができるという見本でした。
大阪府はこれで客寄せして観光客を騙そうとしているが、恥を知れと言いたい。