大阪河内長野市の滝畑ダムと滝畑村
府道61号から滝畑ダムへ
河内長野市は大阪の市街地でありながら、東に向かうと森林と山地が広がっています。
奈良県、和歌山県と大阪府の間はだいたい山地ですが、河内長野市の東には金剛山、岩湧山、和泉葛城山からなる山系が存在する。
山を越えると和歌山県の紀ノ川があり、岩湧山の近くには滝畑ダムという大きめのダムがある。
ここは「首無しライダー」や「幽霊トンネル」の怪談があり、前に3つの幽霊トンネルを撮りに行ったが何も写っていなかった。
滝畑ダムは1981年に完成した比較的新しいダム湖で、道が整備されていて大阪の市街から近いので、ライダーの目標地点になっている。
背後の山々やバーベキュー場はハイキングや行楽スポットになっていて、夏休みは家族連れが多い。
元々は石川という川が山系を源流として平野部の大和川と合流し、堺市から大阪湾へと流れ込んでいる。
現在の大阪市は1000年ほど前まで海だったのだが、大和川と淀川が運ぶ土砂で海が埋まって、現在の姿になった。
ダムがある滝畑地区は1889年まで滝畑村で、高向村を経て河内長野市になった。
滝畑ダム休憩所からの風景
水が減って土が露出している
滝畑ふるさと文化財の森センターから集落を見下ろす
上流側は水が枯れていました
湖にへばりつくようにある民家は、以前はダム下にあったのが移転したのでしょう
橋の上をバスが渡ってきました
こうした集落でバスが通っているのは非常に恵まれている
滝畑の主要産業は炭焼きだった
滝畑ダムを見下ろす「滝畑ふるさと文化財の森センター」では当時の民家が保存されて居たり民具が展示されている。
展示を見ると滝畑地区は鎌倉時代から炭焼きが主要産業だったようで、集落の家々から炭焼きの煙が立ち上っていたという。
滝畑には平野がないので水田は作れず、代わりに高値で売れる炭を生産して大阪や京都に運んでいた。
原料の木材は周辺に無限にあったので、炭焼き業は大変に栄えたが、明治以降はエネルギーが石炭から石油に代わり衰退した。
僅かな平地で米を作っても年貢として没収されたが、炭や麦や木綿は現金収入を得られたと書かれている。
すべては兵どもが夢の跡と言った趣で、現在は炭焼き小屋もなくなっており、当時を思い起こさせる物もない。
村の中の旧道を走ってみる
ダムと同時に出来たと思われる古い家が並んでいる
(移転で補助金が交付された)
廃屋はそれほど多くない
ダム湖の上流側に「しんさむらい橋」があり、横に樫谷不動がある
滝畑ダムを過ぎると府道61号は急にこうなります
まだ大阪府です
使われていない吊り橋
昔は向こう側に家があったのでしょうか
ちょろちょろ流れているのが滝畑ダムの源流(の一つ)これがダムや大河になります
つづく