葛城市の笛吹神社に日露戦争の大砲があった
葛木坐火雷神社[笛吹神社]
葛城市の笛吹神社は葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)という長い名前で例によって創建年は不明です。
不明な神社の多くは文字が使われ出した西暦600年台以前で、神社形式になる前から在ったと考えられる。
神社が今の形になったのは仏教伝来で仏教の影響を受けてからで、定型化され神が組織化され立派な拝殿などができた。
そうなる前は山や石など自然物への信仰が強く、今も山の神として山岳地帯で祭られているのに近い。
神社は最初移動式で祭りの儀式のときだけ鳥居を建てて供物をし、せいぜい小さな祠があった程度と考えられる。
西暦600年代から続々と立派な神社が建てられ、仏教寺院と勢力を競うように拡大していった。
弥生時代の遺跡には宗教儀式を行ったらしい広場や、宗教建築物があったと考えられている。
これらが神社とどう結びつくかは分かっていないが、神に供物を捧げる祭祀場という点で共通している。
笛吹神社が最初に記録に登場するのは800年台で、笛吹連の一族が拓いたと伝えられている。
笛吹神社への入り口、鳥居は大きい
ここは居心地のいい空間、もっと上に上がる
石段も両脇の灯篭が神秘的な雰囲気を醸し出す
よく見ると彫ってある鹿が一頭ずつ違う
階段を上がると
大砲が目に飛び込んできます
日露戦争でロシア軍が使っていたもののようです
こういうのを互いに撃ち合ったんですね
ここから砲弾を込めて撃ちます
これを牛馬や人力で移動させました
上に上がってみます
模型かフィギュアのように見える
七五三参りをしていました
大砲型の絵馬は千円で売っています