吉野川沿いの比曽寺跡と天誅組
東吉野村へ
前回は御所市から裏道を通って大淀町土田の田園地帯まで来ました。
奈良県道222号線を東に進むと世尊寺という寺があり、比曽寺跡という名所になっています。
京都の金閣寺が今は存在せず鹿苑寺の中にあるような関係で、比曽寺という寺そのものは無くなっています。
比曽寺は聖徳太子が建立した48寺のひとつで、飛鳥時代から平安時代には大伽藍を構えていた。
当時の建物は何も残っていないが、寺周辺や裏山の景色が良く、散策や撮影スポットととして知られている。
比曽寺跡の次は東吉野村の天誅組史跡をいくつか周りました。
比曽寺跡、一面花畑に見えるが道路沿いだけです
苔の庭もきれいでしたが、今回は山の方には行きませんでした
天誅組は明治維新前に坂本龍馬や長州藩と共に討幕蜂起したが、幕府が盛り返した時期に滅ぼされた人たちです。
龍馬や薩長は藩という支援組織があったが天誅組は有志の集まりに過ぎず、サークルやクラブ活動のような「ノリ」だったようです。
討幕運動に乗って蜂起したが幕府が盛り返すとひとたまりもなく、奈良の山中で最後を迎えました。
大淀町幼稚園の向かい側には園児がつくった何かが飾ってあった
東吉野村の道の駅「ひよしのさとマルシェ」
村唯一のコンビニがあり、手作りパンが美味しく休憩所が快適
こういう川沿いを走っていくと
天誅組終焉の地があり最後の人がここで討ち取られたようです
最後は山中を逃げ回って薪小屋に隠れたが村人に密告されたと書かれている
学生運動のようなノリで「社会を変える」と挙兵したようです
ここは少し離れた場所で、やはり誰かが討ち取られたとあります
少し離れた宝泉寺には天誅組を祀っています
広くはないがかなり立派な寺
前の川で釣り人がアユか何かを釣っています
また少し離れた場所には別な天誅組の墓地があります
石段を少し上っていくと
義士達の墓が並んでいる
実際は脅されて仲間にされ、幕府から追われて逃げ回った人が大半だそうです
吉野川は高見川という名前に変わっている
終わり