黒滝村の河分神社は戦前の面影残る
時代から取り残された神社
黒滝村の河分神社は役場や学校がある場所より奥地にあり、昔はその辺が中心部だったのではと想像します。
川と山に挟まれた狭い場所に、とりつくように数十件の民家があるが、半数ほどは空き家です。
明治以前は神職5人がいたそうですが現在は無人で、15世紀以前の歴史は分からなくなっている。
林業や炭つくりが盛んだった頃が黒滝村の全盛期で、木材や炭は高値で売れました。
しかし明治維新後は石炭や石油・電気の時代になり、木材も輸入木材に押されて村の収入源がなくなりました。
奈良県南部の大半で同じことが起き、収入を絶たれた山間地の人々は平地に降りて村は衰退しました。
集落の住人の大半が出て行ったことで河分神社は改築や工事が行われず、戦前の姿のままになっている。
戦意高揚のスローガンや忠魂碑には苔が生えまくり、今となっては貴重な歴史遺産になっている。
戦前の神社は日本中がこうだったのだという姿を、現在にとどめている。
道の分岐点にありかつては栄えたと思われます
右側に武運長久
左側に紀元2600年(
狛犬も戦前生まれでしょう
手水舎
文政6年(1823年)はシーボルトが来日した年で黒船来航の30年前、坂本龍馬や西郷隆盛は生まれていません
この鎮魂碑も戦前でしょう
苔が生えては剥がしたのか読めなくなっている
なにげなく生えている後ろの杉の木ですが
樹齢600年と書いてあります
夫婦杉の横に小さい鳥居があります
なにか普通と違うような
何故か木彫りのアザラシが祭られている
狐でしょうがこれも相当古そうです
石碑は昭和14年
神社の周囲は一等地なんですが半数が空き家でした
正面の家も良く見ると表札やカーテンがないので無人です
つづく