後村上天皇陵と観心寺(河内長野市)に行ってきた
後村上天皇ではなく空海
観心寺を通る
前回は千早赤阪村の千早城跡に登ってきたのだが、実はそれは「ついで」で本当の目的は近くの「後村上天皇陵」でした。
まず千早城跡に行ってから帰りに河内長野市の後村上天皇陵に立ち寄るプランでした。
千早城跡は予想外に体力と時間を消耗したが、まだ時間に余裕が在ったので、予定通り後村上天皇陵に向かいました。
後村上天皇陵という独立した場所が存在すると考えていたが、現場に行ってみたら観心寺という寺の中でした。
正確には観心寺の正門から敷地内に入り、通り抜けて奥のほうに後村上天皇陵が存在します。
地図上では分かれているように見えたが、こういうのは自分で行ってみなければ分かりません。
千早城近くの集落を通って行く
千早簡易郵便局の近くにあった石地蔵
観心寺というのはかなり大きな由緒ある寺で、なんと入場料600円を払わないと入れません。
しかたなく入場料を払って観光客とともに入ると、古い建物や史跡が数多く残されていた。
帰ってから調べると創立は西暦700年頃で、古事記や日本書紀が書かれたより古い。
空海が何度か訪れて、自ら如意輪観音像を刻んで安置したとされる。
肝心の後村上天皇は南北朝時代の第97代天皇という、まああまり重要ではない人物です。
南朝の第2代天皇で天皇とは認められていなかったが、明治政府は南朝を正当としたため、現在は正式な天皇とされている。
父親は鎌倉幕府や足利幕府と対立して吉野に逃亡した後醍醐天皇で、このため天皇家は南と北に分かれた。
後村上天皇陵そのものは、いかにも寺の奥に押し込んだ感じで、寺がメインで陵墓は付け足しです。
観心寺は有名らしく、自転車の人たちが写真を撮っています
入場料を払って入ると、水子供養像がある
生まれてこれなかった子供たちの叫びが聞こえそうで怖いです
楠木正成の学問所もあったようです
手洗い所には水を吐く龍が居ました
これはけっこう凝った作り
上まで行くと本堂があり、囲いの中に弘法大師が座った石があります
これもホラーっぽい雰囲気
数百年前の建物が点在している
木の組み方がすごい
これも弘法大師が何かした木
周囲の旗はお金を払って人々が奉納したもの
後村上天皇陵の道標は草むらに埋もれていた
意識しないと天皇陵入り口は通り過ぎる
登って振り返ったところ
拝所自体は狭いし普通でした
今日は完全に弘法大師がメインでした