箸墓古墳と勝山古墳を訪問 奈良県桜井市
箸墓古墳の全景
最古級の前方後円墳を見に行く(写真は2017年9月に撮影)
箸墓古墳とは
奈良県の桜井市には前方後円墳の中でも最も古い時代のものが集中しており、ヤマト国家発祥の地とも言われている。
古墳のほとんどは宮内庁の反対で発掘されていないので、誰の墓なのか分からず「歴史のロマン」でひとくくりにされている。
中でも箸墓古墳は3世紀中ごろに造られた全長278mの巨大前方後円墳で、建造時はもう一回り大きかったとも推測されている。
3世紀中ごろつまり西暦250年ごろといえば、最初の前方後円墳が作られたのは西暦200年頃であり、その直後の時代に相当する。
実在が確実視される最初の天皇は西暦300年頃からで、西暦200年代は天皇の権力が確立していく過渡期に当たる。
極めて微妙でデリケートな時代であり、有名な魏志倭人伝に「女王卑弥呼」が書かれたのは西暦280年頃でした。
魏志倭人伝には卑弥呼は西暦247年頃に逝去したと書かれていて、箸墓古墳はその後30年以内に造営されたと考えられている。
つまり箸墓古墳が造営されたのは邪馬台国で女王卑弥呼亡くなった、まさにその時代に相当し、埋葬者は卑弥呼だと言う人もいます。
右手がすでに箸墓古墳
巨大なので離れないと全体が撮影できない
勝山古墳とは
箸墓古墳から少し離れた場所にあるのが勝山古墳で、今のところ(諸説あり)最も古い前方後円墳と言われている。
周豪部の木材を年代測定したところ、西暦200年頃という結果が出て、箸墓より数十年古いと確認された。
西暦200年頃は天皇で言えば10代目崇神天皇の300年頃より100年も古く、初代の神武天皇の時代に近いと考えられる。
天皇の平均在位期間は14年であり、しかも年代が古いほど寿命が短く在位期間も短いので、最初の9世代で約100年と見るのが妥当だと思います。
すると勝山古墳は天皇家が始まったまさにその時代の権力者の墓であり、何らかの関係があるかも知れません。
例によって墓そのものの発掘は禁止されているので、永遠の謎かも知れませんが。
箸墓古墳の隣はもうすぐ稲刈りの田んぼ
農作業をする近所の人
箸墓の裏側は細い住宅地の路地
民家の裏は箸墓古墳
もう半周するとまた田んぼに囲まれている
鳥居のある参拝所が見える
宮内庁は一応被葬者を決めている
ここが前方後円墳の四角い部分
参拝所から見る稲穂が美しい
近所の人が犬と一緒にごみ拾いをしていた
以下勝山古墳
勝山古墳も細い道の向こうにあった
写真はなるべく綺麗に撮ったが、実はただの「溜め池」っぽい
これが日本で最も重要かも知れない古墳
裏側はソーラーパネルになっていた
向こうの建物は小学校
水鳥の休息地になっていた
周囲の田園風景
向うの林も近い年代の古墳らしい