96代 後醍醐天皇陵を訪問
後醍醐天皇陵にいく
天皇陵を巡る6回目(7か所目)はちょっと有名な後醍醐天皇で、世界遺産の吉野山の一角にあります。
いつものように下調べは一切せず、グーグル地図で見て適当に選択して出発しました。
下調べをして十分な予備知識があると、効率よく回れるが、予備知識は先入観になるかも知れません。
吉野川はとても美しい
地図で見たときは周囲に世界遺産や観光地があり、とても華やかに思えたが、実際に現地に行ったらとんでもない事でした。
吉野山にバイクで登るとグルッと一周して下に戻るのだが、右回りの方が後醍醐天皇陵に近い。
だが入り口が分からず適当に進んでいると、気づいたら左回りで山を上っていました。
反対回りに入ったが気付いていない
左回りだと金峯山寺という世界遺産のメインスポットや、古い宿場町の中を通り抜けます。
この日は(7月19日水曜)どこもガランとしていて見物には絶好だったが、目的は天皇陵なので素通りしました。
世界遺産らしい
後醍醐天皇陵もこんなオシャレな観光スポットなのかと思って山中を進むと、例によって宮内庁の案内はなく、どんどん険しく寂しい道になった。
旅館や土産物屋が並ぶ
辺鄙な山奥に隠れ住んだ天皇
いい加減道に迷ったに違いないと確信した頃、後醍醐天皇陵という看板が道路わきに立ててあった。
宮内庁という役所は観光には一切関心がなく、観光客は不法侵入したりゴミを捨てる厄介者だと考えている(そしてこれは当たっている)
宮内庁の役割は天皇陵を保存する事で、観光客に見せることでは無いのだった。
怪しいトンネル脇に小さな標識
後醍醐天皇陵までの道には「スマイルバス」という地域バスが走っているが一日3回(3往復ではない)だけで、しかも平日しか運行しない。
自家用車やタクシーは途中で進入禁止だったような気がするので、(違う道路なら通れる)バイクでないと来難い。
観光ガイドには吉野ケーブル「吉野口」下車徒歩2時間と書いてあるが、舗装してあるとは言え山登りなので、死ぬ覚悟がないならお勧めしない。
唐突に天皇陵の看板がある
バスは平日のみの3本
後醍醐天皇陵は如意輪寺の奥にあるが、そこまでの交通手段が非常に限られている。
如意輪寺は「かえる寺」として有名で楠木正行が祭られているが、それらもすっ飛ばして一番奥の後醍醐天皇陵に進む。
7月19日は奈良県が梅雨明けした日で、気温30度以上で山中なので蒸し暑く、山陰にあるので微風すら吹かない場所にある。
門から寺まで歩くしかない
虚言癖で幕府から指名手配
天皇陵は道路を下ってから階段を上った場所にあり、言ってはなんだがとても貧相です。
山の途中に応急処置で作ったように見え、他の場所の地位の低い皇族の陵墓のほうが、よほど立派です。
こうなってしまった原因は後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し朝廷の直接政治をしようとしたからで、天皇で有りながら「指名手配犯」だったのです。
寺は山と森に囲まれて完全に無風、蒸し風呂状態
かえるを買って置くとご利益があるらしい
後醍醐天皇を支持する武将らによって鎌倉幕府を倒したが、すぐに足利幕府が成立し、三種の神器を譲って退位しました。
ところが退位した後醍醐はこの吉野に避難して「その神器は贋物だよー」と言ってまた天皇に即位してしまいました。
これが南朝で56年間存続し、後醍醐天皇によると吉野こそ日本の首都であり如意輪寺が皇居だったようです。
階段の上が天皇陵
1339年8月15日、朝敵(足利)討滅し京を奪還せよという遺言を残して翌日没します。
ぶっちゃけて言うと、とても迷惑な天皇だったようで、こんな山奥に逃亡して怯えながら暮らしていたのでした。
この後醍醐天皇が退位と復帰を繰り返したせいで、明治政府は「退位なんか認めない」とし、現在の天皇の退位問題もこじれている。
今まで見た中でもっとも小さい
上る価値があったかしばし自問自答する
後醍醐天皇に忠臣として尽くし、戦って犬死にした武将が楠木正行で、主君に恵まれませんでした。
如意輪寺に行くなら暑い季節は避けたほうが良いです。
階段の途中に息子の陵墓もある
楠木正成に関係した石碑
苔と一体化した古い墓石
蒸し暑さから逃げるように山を下る
吉野川では何人もの釣り人がアユ釣り(多分)をしていた