藤ノ木古墳と周辺を歩く 奈良県斑鳩町
ただの公園の山ではないかなどと思ってはならない
藤ノ木古墳とは
奈良県斑鳩(いかるが)町という場所に藤ノ木古墳があり、昔ちょっと話題になったので行ってきました。
というよりもバイクでふらふら走っていたら斑鳩町に出て、地図を見たら藤ノ木古墳が近かったので立ち寄ってみました。
1980年代に大規模な発掘調査が行われて、「古代史を塗り替える大発見」と話題になったようです。
役場(左の建物)の横の道に古墳の標識があった
大陸から伝わった馬具とか銅鏡、大刀など多くの装飾具が発見され、古代の権力者の墓だと考えられている。
時代は6世紀後半で比較的新しく、近くにある法隆寺が607年建立(伝承)なので数十年の違いしかない。
有名な聖徳太子は574年2月7日生まれ(伝承)なので、聖徳太子が20歳くらいの時に作られたと想像できる。
藤ノ木古墳、老人たちがゲートボールしてそうな雰囲気
というような予備知識は特になく、小さな標識に従って細い坂道を登っていくと、広い空間にそれはあった。
古墳というのはもっと違うものを想像していたが、現実に目にしたのは「公園のもっこり山」そのものであった。
田舎の公園にはよく小さな山が作ってあって、子供がキャーとか奇声を発して登ったり下りたりしているが、アレそのものである。
周囲は農地と住宅になっている
少し広い広場の中央に「デン」という感じで土を盛り上げており、特に歴史の重みは感じられない。
発掘から25年も経っているので一帯は完全に整備されていて、もはやただの広場である。
ただ周囲は大阪の古墳と違って農地に囲まれており、1500年前もこのような農地だったに違いないと連想させる。
坂を上っていくと、昔からの細い路地が続いていた
ため池、水門、ベンチ、昭和の風景
道はずっと続いている
細い路地を進むとそこは古い寺だった
藤ノ木古墳を上から撮影するために坂を上っていくと古い路地があり、その辺は数百年前から変わっていないようだった。
道が細く曲がりくねっていて、両側は石垣の上に土壁が塗ってあるという作りで、見た目にもかなり古い。
写真を撮りながらその道を進んでいくと、見覚えのある門に出て、そこは法隆寺の裏側であった。
道の脇に小さな祠があるのを見つけた
愛宕大神のお札があちこちに入れてある
すると今歩いてきた道を(舗装されて居なかっただろうが)、聖徳太子も歩いたに違いなかった。
そう考えるとさっき見た「もっこり山」の周囲も聖徳太子やその時代の人が歩き回ったに違いない。
法隆寺は教科書や修学旅行で何度も見たので(暑かったし)、再び古墳に戻って周囲をくるりと一周して帰る事にした。
両側の壁は石を積んだ上に土壁を塗ってある
優雅に歩く猫
法隆寺や古墳周囲の民家は完全に風景に溶け込んで一体になっており、通り過ぎる20年落ちの軽トラすら風格を感じさせる。
学校帰りの小学生の集団も大阪の小学生とはかなり雰囲気が違う。
行きかう人々の顔はなんとなく仏像っぽいと思いながら、奈良を後にしたのだった。
路地の行き止まりに、どこかで見たような門が
そこは法隆寺だった
法隆寺の外壁も同じような土壁で塗られていた
この辺のマンホール
再び藤ノ木古墳に戻る
この辺の小学生
古墳脇の消火器入れと花壇