24代仁賢天皇陵、22代清寧天皇陵を巡る 大阪の旅
24代仁賢天皇陵、特に荘厳ではない
天皇陵は地味な存在
全ての天皇陵に実際に自分で行って写真を撮りレポートをする「天皇陵めぐりの2回目です。
一回目の仲哀天皇陵に行ってみて分かったのは「建物がない」「これといった見せ場がない」という事です。
天皇陵はだいたい前方後円墳が緩やかに盛り上がっていて、周囲を堀が囲んで水を張ってある。
道端に突然入り口がある、それまで道路案内とかはなし
通り過ぎて見直すと仁賢天皇陵だった
堀の周囲は少し盛り上がっていて、周囲には立ち入りを制限する柵が巡らしてあり、柵の周囲は普通の私有地です。
堀によって前方後円墳に入れないようにしているうえに、堀の周囲には柵もあるので内部への侵入は不可能。
実をいうとこの柵ってのは学校のグラウンドのフェンスよりちゃちなので入れるのだが、通報されたら逮捕される。
正面から見ると整備されている。右はマンション
奥に進むと作業小屋と参拝所がある
天皇陵は観光地ではないので展望台とかは一切なく、だいたい誰かに見せようとする意図もない。
柵の外側からはかろうじて堀と、向こう岸の木々が見えるが、特に変わったものは確認できない。
ようするに、住宅地の中にある林であり、多くの住民にとってそれ以上の物ではないようだ。
こうして見ると少し威厳が感じられる
そのひと誰?
これが天皇陵めぐりツアーなどが無い理由で、行っても特に驚くようなものがない。
これが戦国武将の城だったら、天守閣がなくても石垣や昔の地形が残っていて、資料館などがある。
天皇陵にはその手の資料館もないが、城跡なら昔風の建物が再建されていたりして、それはそれで面白い。
天皇陵の前は畑になっている
今回は藤井寺市の24代仁賢天皇陵と、22代清寧天皇陵を訪問したが、日本人の99%以上は「その人誰?」という人物です。
14代仲哀天皇はヤマトタケッル(日本武尊)の息子で、三韓征伐をした神功皇后の夫という重要人物でした。
24代仁賢(にんけん)天皇はまったくどうでもいい人だが、高麗から工芸技術を導入したり、庶民には良い時代だったそうです。
進むと民家の裏側に出て、主婦が洗濯物を干していたので、そこで引き返した
周囲を堀で囲まれているが、見えるのはここだけ
たぶん管理人の人
清寧天皇は生まれつき白髪だったので生前は白髪皇子と呼ばれ、妻も子もなく親戚の子を皇子とし、これが24代仁賢天皇になった。
2人は血縁のない天皇と皇太子という関係で、目立った業績はないので、天皇陵も仲哀天皇より小さく、宮内庁の扱いもぞんざいです。
ただすべての天皇陵は職員が管理しているようで、周囲を見まわったり、草木の手入れをしていた(依頼された庭師かも知れない)
22代清寧天皇陵はツタヤとドラッグストアの裏側だった
あまり大事にされてきたとは思えない
堀がため池になっていた
参拝所はただの道路脇
正面から見るが威厳も何もない
隣は長屋みたいだった
周囲を周回できるようになっているが、立ち入り禁止になっていた