大神神社、景行天皇陵、崇神天皇陵を訪問
大神神社(奈良県桜井市)
今回の写真は2017年11月初旬に撮影しました。
奈良県の天皇陵を巡る”ついでに”どこか歴史のある神社も行ってみようと思いました。
地図で見た時は「犬神(いぬがみ)神社」に見えたのだが、行ってみたら点がない大神神社でした。
大神神社の大鳥居
奥の方では結婚式をやっていた
日本書紀や古事記にも登場し、崇神天皇の時代から記録が残されています。
三輪山のふもとにあって三輪山そのものを神体としていて、神社から三輪山を拝むようになっている。
時間が限られているのと、しんどいので登山はせず(予約が必要なようだった)社殿まで行ってお参りしてきた。
平日なのにかなりの人が来ていて、結婚式をしている人や、車のお祓いをしている人なども居た。
参道の周辺には飲食店や喫茶店、土産物屋が並び、とても賑やかでした。
自動車のお祓い所もあった
どう見ても「犬神」じゃなく大神でした
まっすぐの道を奥に上っていく
階段を上るとゴール
ではなく中間地点らしい
本当は三輪山の山頂まで登るらしいが勘弁
結婚式の帰りらしい人達
カップルの参拝客が多い
景行天皇陵(奈良県天理市)
桜井市から天理市に向かうと道路沿いに景行天皇陵が唐突に現れ、拍子抜けする。
多くの天皇陵は山奥とか入り組んだ住宅の中とかに、隠すように存在するため、発見するまでが宝探しのような小イベントになる
道路から見えるところに拝所があり、半分ほどを堀というかため池が囲んでいる。
周囲は農地が多く、ちょうど柿の実がなる季節で老夫婦が軽トラで柿の収穫をしていた。
この柿は奈良県のスーパーとか道路沿いの直売所で売っていて、かなりうまい。
だが柿にも色々あり、甘くておいしいのや、硬くて渋いのなど、当たり外れが大きい。
国道沿いに唐突に現れる
すぐそこが拝所
景行天皇は第12代天皇で日本武尊(やまとたけるのみこと)の父、景行天皇自身も九州遠征を行ったと日本書紀に書かれている。
こうした記録には空想だという研究者もいるが、同じ時期に前方後円墳など天皇やヤマト政権の権威が全国に広まった物証もある。
記紀の記録はともかく、この時期にヤマト政権が日本統一を果たした可能性は高い。
砂利道を歩いていくと
お婆さんが軽トラに柿を積んでいた
下のほうでお爺さんが柿を収穫している
陵を半分囲むため池
反対側はこんな感じ
崇神天皇陵(奈良県天理市)
景行天皇陵の近くに崇神天皇陵が存在するがこちらはかなり場所が分かりにくく、地図では奥に入った所にある。
そこで国道169号から細い道に入って陵に行けないのを確認し、再び国道に戻った。
するさっき通り過ぎた国道沿いの駐車場の奥に、崇神天皇陵が存在した。
他の天皇陵とは印象が違い、盛り上がった小山の上が拝所になっていて、周囲を回っても盛り上がっているために中は見えない。
周囲を堀が囲んでいるが人間は近づけず、小さな水鳥が群れをつくって暮らしていた。
きっと1000年以上まえからここは小鳥や虫の楽園なのだろう。
もっこり盛り上がる森が崇神天皇陵っぽい
周囲で入り口を探すが
入る道がない
崇神天皇は第10代天皇で、実在が確実視される最初の天皇と言われている。
初期の天皇の特に9代までは異議を唱える研究者が多く、崇神天皇陵を最初の天皇とする人も居る。
例によってこの場所が本当に崇神天皇陵なのかは不明だが、この形状と規模からは、いずれかの天皇の陵墓と推測できる。
崇神天皇は西暦250年代から320年頃の人物と考えられるが、当時日本には文字記録がないので、陵墓を発掘しない限り分からない。
天皇陵の発掘や調査は一切禁じられているので、新たな物証が偶然発見されない限り、永遠の謎となる。
たぶん左下の森の筈
国道に戻るとさりげなく標識があった
間違いなくこれです
南米のピラミッド風
頂上はすごく狭かった
無理矢理覗くと無数の水鳥が泳いでいた
手を伸ばしてカメラを上に上げて撮っている
見えるのはこれだけ
今登ってきたところ
向うの山も古墳っぽい
帰り道で見かけた地蔵
いつ見ても新しい花が差してある