和歌山県かつらぎ町の柿畑
葛城山と初期ヤマト王権の謎
和歌山県にはかつらぎ町があり、近くの奈良県側に葛城(かつらぎ)市があり道路距離で40kmほどしかない。
奈良の葛城市の西側には大和葛城山があり、和歌山かつらぎ町の西側には和泉葛城山があってどちらも反対側は大阪府に繋がっている。
中間にある金剛山などもひっくるめて葛城連峰と呼ばれ、単に葛城山と呼ぶこともあるのでややこしい。
全部ひっくるめた葛城山はヤマト王朝成立に深くかかわっていて、この地域の豪族が初期の天皇と何らかの関係があった。
初期の天皇陵のいくつかは奈良県葛城山の周辺にあり、大阪側にも聖徳太子前後の天皇陵が存在している。
記紀によると神武天皇は奈良盆地の東側の山脈にある宇陀市を占領し、それから桜井市あたりに降りてきて奈良盆地を攻略した。
奈良盆地で最も東にあるのが桜井市で、最も西側で遠いのが葛城連峰沿いの地域でした。
この地域に葛城王朝が存在し一時はヤマト王朝に対抗したが、やがて滅ぼされたという説もある。
日本書紀には初期の9代は葛城に居住し、墓地も現在の御所市周辺にあると記述されている。
御所市の田んぼ、遠くの山が宇陀方面
この辺は稲刈りはまだのようです
遠くの山は吉野方面
近くの池では鴨が泳いでいた
この辺ぜんぶ柿の木
赤くなっている実もありました
道端に猫がいる
直売所の猫らしい
和歌山の葛城山はのどかな山村
一応それらしい場所に天皇陵を新設したのだが、実際にどこだったのかは判明していない。
御所市周辺の天皇陵には以前訪問したが、「多分違うだろう」という印象を受けました。
場所が分からないという事実からは存在したとしても非常に小さなもので、せいぜい数メートルの土饅頭だったでしょう。
というのが奈良県側の大和葛城山と葛城市や御所市の話で、和歌山のかつらぎ町にはそうした伝説は無い。
かつらぎ町は南北に長いが平野は東西を通る紀ノ川周辺だけ、衛星写真では95%ぐらいが濃い緑色になっている。
人口のほとんどは5%ほどの紀ノ川沿いに住んでいて、山岳部は高齢者とその家族しか残っていない。
町のあちこちで見られるのが柿の名産地という表示で、近くの九度山町や五條市もそうです。
山間地では果樹園と柿畑が多く、他は杉林と過疎集落くらいしかない。
国道から遠くない山岳集落は紀ノ川沿いの市街地に通えるので、ベッドタウンのような役割を果たしている。
もっとも新たに引っ越してくる人は居ないので、若い人は昔からそこに住んでいた人だけです。
はざかけの向こうも柿の木
醫王神社はかなり山奥にある
交通は不便だが行く価値はあります
これは醫王神社の帰り道
軽トラは通れるがすれ違えない
よその家の裏を通る
食べごろの柿が成っている
県道61号の合流点、柿の収穫をしている